勝海舟がよき友と書き残している、熊谷登久平の生家日野家出身で横浜港開港の立役者の1人でもある熊谷伊助の直系、片瀬熊谷家の美波さんが来展示してくださったので一緒に池之端の鰻の老舗の柏屋さんでランチをした。
旨し。
美波さんのご先祖の岩手県の千厩にも鰻の美味しい店があり登久平が好きだったそうだが今は絶えて違う美味しい店がある。
熊谷伊助も食べたのかな、そこの鰻。
伊助は江戸の田原町辺りに住み、千厩にマメに手紙を出した。江戸の治安が悪くなってきているとか、大火事で雷門が焼けたとかの手紙、私は面白いと思っている。
面白いと言っては不謹慎だが、美波さんのお祖父様は慶應大学時代に高額なカメラを買ってもらい、写真撮影が趣味となり、関東大震災の写真を残している。その中の代表作品は岸田劉生の家族が潰れた家の上にいる写真だろう。
あれを撮影したのが熊谷伊助の孫で、熊谷登久平の血縁で同じルーツなのは面白い。
http://www.shonanfujisawa.com/~katase/60history.htm#shodai
その熊谷治純氏の死因が富士山の美しい写真を撮影しようとして、ずっとカメラを構えて待ち続け風邪をひき悪化してと今日聞いて、仙骨の人だったんだと、今都立美術館でやっている吉田博展の吉田氏も仙骨の人だったなと美波さんをお誘いし一緒に鑑賞。
喜んでいただけて嬉しい。
もちろん義父の作品も喜んで頂けました。