熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

Tohoku/Tokyo 1925-1945 : 相剋のモダニズム

メモ

Tohoku/Tokyo 1925-1945 : 相剋のモダニズム

 

この図録、持っている筈だけど埋もれてる。熊谷登久平も載っている。

↓赤い帽子の女についていた熊谷登久平の概略

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片瀬写真館で写真を綺麗に復元して頂けて、我が家で「ミーハーな熊谷徳兵衛(登久平)は大正10年に中央大学進学のため上京。横浜開港に尽力した豪商熊谷伊助(生家が同じ千厩の日野屋)の孫が継いだマツヤカンパニーと、その弟治純が経営する片瀬写真館に行った時」と伝わっていた三人の記念写真。(で、憧れの萬鐵五郎にも会いに行ったらしい)

現当主の美波さんに左の人が熊谷治純と教えていただいた。

真ん中が熊谷徳兵衛(登久平)

左の人が岸田劉生日記にも登場する片瀬写真館の治純とわかってから右の人は誰だろう。

と、ずっと気になっていて眠れない。

まあ、酷い腰痛のせいだけど。

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右の人誰。

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拡大すると左目が二重で右目が一重。

一瞬岸田劉生かもと期待したけど耳の形が違う。

 

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