熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ムーラン・ルーデュ 熊谷登久平

現在、池之端画廊さんに展示いているムーラン・ルージュはフランスのムーラン・ルージュの前で熊谷登久平が描いた修作で、本画は日本への帰国後に台東区谷中のアトリエで描いた。

谷中のアトリエで描いた作品が厚生省が出していた冊子、「ねんきん」の表紙となったが、表紙のことばにある現地の空気は池之端画廊に展示ているラフ画が持っているかと。

「ねんきん」の題字はかつて登久平が住んでいた初音町の彫刻家、朝倉文夫氏である。




以下ねんきん昭和39年9月号



表紙のことば
ムーラン・ルーデュ
熊谷登久平

カトルルゥゼ、巴里祭の日が来た。 フランス三色旗が、三本づつくまれて家の門口に飾れてゐる。四時半起床、タクシーを拾ひモンマルトルのムーラン・ルーデュに。巴里祭の前夜祭の酔のさめない、若い男女が、私が描きだした 街角に、爆竹をたくきっけてさわいである。
今朝も仕事を終ったのだ。
ノルマ ン デ・ホテル六一○号室の鏡のように、描きあげた絵をあげて、ベットの横になった。遠くで花火があがり、飛行機の編隊が、窓近くとびすぎる。シャンゼリゼの通りを軍隊の行進がはじまるところだろ。
午后には、アムステルダムにとぶのだ。そして巴里ともお別れだ。
(原文のまま)

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