熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

今日の熊谷登久平展 ムーラン・ルーデュ ねんきん 表紙の言葉

夫の同級生たちが来てくれました。
夫の同級生に陶芸家さんがおられて、私の母の従弟が所長をやっていた多治見の研究所に受かり、入る準備をしてたけど藝大に進んだとか。

あと戦前に登久平がお世話になっていた白日会の画家さんもいらしてくださいました。
戦前の白日会の新聞記事なども見ていただきました。

装丁を調べている方が岩手県の千厩の本家経由でいらしてくださり、登久平が装丁した戦中戦後の三冊と雑誌を見ていただきました。

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表紙のことば〉
ムーラン・ルーデュ
熊谷登久平
カトルルゥゼ、巴里祭の日が来た。 フランスの三色旗が、三本づつくまれて家の門口に飾れてゐる。四時半起床、タクシーを拾ひモンマルトルのムーラン・ルーヂュに。
巴里祭の前夜祭の酔のさめない、若い男女が私が描きだした街角に、爆竹をたくきっけてさわいである。
今朝も仕事を終ったのだ。
ノルマ ン デ・ホテル六一○号室の鏡のうへに、描きあげた絵をあげて、ベットの横になった。
 遠くで花火があがり、飛行機の編隊が、窓近くとびすぎる。シャンゼリゼの通りを軍隊の行進がはじまるところだろう。
午后には、アムステルダムにとぶのだ。そして巴里ともお別れだ。
(原文のまま)


家人の思い出によると登久平は人が少ない早朝にスケッチをすることが多く、熊谷登久平展に展示しているニコライ聖堂も朝焼けの様子を描いたと思われる。

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