早朝に上野の不忍池へ
午後、池之端画廊の奥さんの友人の遺作展に行く、命日は昨日だった。
池之端画廊さんに入ったタイミングで男女がこちらの絵を見ているのに気がつき、誘い込む。
雑談していて業界の方かなと思い話しを続けると、谷中清水町を調査中の方。
あら私は多少詳しいわと話すと探していて見つからなかったと反応がある。
なので一度家に帰り旧町名地図などを持っていく。
喜ばれる。
また義父が通っていた川端画学校も調べておられるとのとこで、川端画学校が載っている地図のコピーもお見せする。随分と探しておられたとのことで一式お貸しする。
名前聞き覚えある方だと思っていたらコーヒーの本を書いた方だった。
義父の白日会独立美術協会の画仲間の調査をされた方でもあった。少し読んだことがある研究職さんだった。
なお、その方が白日会に問い合わせたところ届いた内容が私が下調べしていたものだった。
世の中狭い。
今日が埼玉の丸木美術館でやっている望月桂展最終日。こちらは諦めた。
5月に行く予定が目眩と不整脈で行けず、ずるずるしていたら今日で終わり。
望月桂は大正時代、震災前に谷中坂町に住んでいた。そこで生活が苦しい人向けの大衆食堂の『へちま』を経営するが、若い画家や文士のツケの未払いなどが重なり一年ほどで閉店したと伝わる。
へちまは彼らが集い、作品を見せ合い論じ合う場だったという。日本の民衆美術運動発祥の地とも言われる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E6%A1%82
震災後の復興時代に長谷川利行と熊谷登久平が展示会をやった肖像画学校で額縁屋の彩美堂の住所がへちまと同じで、並びなのかどうかは確認できないけど、彩美堂も若い画家たちが集い、貸額縁の代金払ってもらえなかったりもあったようだけど、のちにモデル坂の上に移転した。
長谷川利行が描いた彩美堂は谷中坂町時代のもので、もしかしたらその中にへちまもあるかもなあと。関東大震災の被害どうだったろうとか。
↓彩美堂のサイトより。
その後、都立美術館を経て台東区役所前に彩美堂は移転した。
夫、去年末に個人年金が入るも、今年度の都民税と介護保険料が跳ね上がり、個人年金からは源泉徴収的に一割引かれて、毎年値上がる固定資産税の支払いもあり鬱になっている。
インボイスの請求も結構。
零細個人営業にはデカい。
修理用品も値上がり続けていて店をたたんだ方が楽かもしれないと。
店は車庫として貸すとかどうとか。
個人経営で義兄が存命時は臨機応変に修理に応じていたので、私から見たらそれキツくないかと思うような出張修理にも出かける。真夏の炎天下で作業して出張費が私から見たら安い。
それで体調壊してたらダメじゃん的な。
せめて炎天下の出張修理は夜にしてもらうとかできないのだろうか。緊急なのはわかるけど……
同行して修理とかは触らないで軽トラの助手席で駐車違反対策してるだけの私でもアイドリングはダメだからとエアコン止めてるので暑い。
ふと、出張修理を検索したら台東区にもあった。
うちは安いと言われるのが理解できた。
ただ、夫の体調は良くないので、今までお互いに体調が悪い時にカバーし合っていた店も年齢で仕事量セーブしてるので場合によっては紹介できる店を調べておく必要があるかなぁ的な。
同業者の組合には所属しているけど組合でも高齢化は大きくて。
https://cycle-doctor.com/taito-ku.html