熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

レオパレス21ホテル名古屋 #レオパレス

昨夜遅く名古屋に到着し、レオパレス21ホテルの名古屋に宿泊。 仙台が使いよく本を読んだりコンセントが多くてパソコンを使う作業に向いていたけど、名古屋は少し古いのかな、バスルームに洗濯物干しの器具があるのも懐かしく、数泊するなら助かると思う。 …

熊谷登久平の水彩画

他に石膏の作品とかもあり、石膏は学生時代のかもしれない。死後20年持たない熊谷登久平による記述の悲しさ。 義父の宝物の長谷川利行が描いた熊谷登久平の絵が展示されていた痕跡をやっと見つけた。 1979年5月10日から22日まで名古屋の松坂屋で開催された長…

頭痛いです

私の母の従弟が画家なんだけど、生活のために美術の教師をして最後は美術系の公立高校の校長先生を経て定年退職をしてからやっと、好きな絵を描けるようになった人だ。 息子二人に無事教育を受けさせるまでは売れるものを制作する。 これはよくある話で、私…

絹子さん衣子さん政恵さん。

思いっきり忘れられた画家で、美術年鑑に載っているのとか、企画画廊で個展したことあるのとか美術系学芸員に丁寧に聞かれたりもする熊谷登久平ですが、1931年、昭和6年の美術年鑑には長谷川利行さんが載ってますけど、義父の名は無いですね。 。゚(゚´Д`゚)゚。…

#谷中 #日本美術院 庭の手入れの日 #岡倉天心 #横山大観 #カルチェ・バル #モンパルナス

年に一度、日本美術院が庭木の手入れをします。 庭への扉は普段閉められていますが、今日だけ解放されます。でも入ることはできません。 中の神社に岡倉天心らが祀られていますが、美術院の会員でもなかなか見られないそうで、たまに我が家に見させて欲しい…

来客

午前来客あり、夫と共に大いに盛り上がる。

怖い人 #山形県 #東京航空計器 #中央大学の震災前後 #長谷川利行が描いた熊谷夫妻

私のこの日記を読んで私を怖いと感じられた私の親世代がいらっしゃると知り、結構ショックだったけど、戦後17年後に生まれた新参者なので戦中派には生意気かも知れないし。 これがある、あれがあるも上から目線と読めるかも知れないとか。 私は危篤状態と峠…

#長谷川利行 の死後の #熊谷登久平 と、 #矢野文夫 の関係 と女学生と #東京航空計器 #岩手日日新聞 #証言集戦後70年間 #千厩日野屋

長谷川利行が画商の天城俊彦と付き合い始めた頃のことを矢野と義父それぞれ手記に書いている。 長谷川利行を監禁するようにして絵を描かせ、利行がいじけていったと書いている義父は画商嫌いになり、画商を通じて絵を売ることを嫌がった。 長谷川利行、矢野…

#長谷川利行 #熊谷登久平 #長谷川利行幻のスケッチブック かな

義父、熊谷登久平の遺品は妻の房江と長男の久と次男の寿郎が守ってきたが、登久平の直の遺品は弟子たちである永田町の官僚たちの絵の会、バリベア会のメンバーがそれなりにやってくれたし、義父の従兄がある程度保存してくれているそうだ。 だが、その頃はま…

#長谷川利行

長谷川利行は熊谷登久平と飲みにいき絵を描きあい、義父の登久平は晩年に一番楽しい時代だったと回想をしている。 矢野文夫と三人で出かけることもあれば、二人で出かけることもあったようで我が家にはその断片がある。 全てが未整理であり、岩手県の新聞社…

ちとダウン #東京大空襲

言問橋に背を向けてスカイツリーを見る。 昭和20年3月10日の焼野原の跡地、言問橋には浅草区側からと向島区側からの避難民が押し寄せて身動きができなくなり、そこに火がつき地獄と化した。 言問橋から隅田川に飛び降りて助かった人もいたが、多くは溺死した…

#艦これ #占守 #甲型海防艦 #占守島 #士魂部隊 #池田隊長 #無言館 #美術史

私は以前、占守島でソ連軍と戦った戦車隊の士魂部隊の生き残りの方々に話しを聞いて回ったことがある。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 当時私は戦記雑誌の「丸」の別冊丸 で長期連載を持っていて…

頭が痛いので

今夜は冷凍食品の餃子でごめんなさいをしたけど、今夫は不機嫌にならないので助かる。 義父のお弟子さんや家政婦さん子守さんに坊ちゃん坊ちゃんと呼ばれて育ったので食べものの好き嫌いとかは面倒だけど、好きな食べものが中学生になって初めて食べたマクド…

#長谷川利行 と熊谷登久平

義父の手記というか随筆というか「長谷川利行と私」熊谷登久平 の記述は長谷川利行関連の書籍や映像の殆どで参考にされていたり、引用されている。 亡くなってすぐに書いた文章もあれば、義父が亡くなる2年前に書かれたものもある。 が、引用している先がど…

本棚の空間が消える

私の本棚を空けたんだけど、いつのまにか本が詰まっている。 夫が昭和30年代の教育漫画のシリーズを置いたりしているからだけど、子守と家庭教師を子どもにつけられていた家にしては何も言われないんだと思ったので聞くと、家族でホッパーパトロールやアトム…

終戦の日

育児中は終戦の日あたりに、水でこねた小麦の粉をグラグラした鍋に落として作るスイトンを食べさせていたけど、栄養考えて具を入れるから美味しい料理となってしまい、まぁ戦争があったという資料が転がっている環境で育てたから良いかなと。 おから料理も私…

孫がきたりて

婿養子に行った息子がお盆休みなので遊びに来た。 息子夫婦は交際時期谷根千もデートコースだったので馴染みの店があり、孫を私たちに預けて食事に行ったりイナムラショウゾウのケーキや、ねこのしっぽを買ったりしてた。 孫は人見知りを覚えて最初はぐずつ…

お盆なので孫が来るらしい

裏の墓場、昨日までは暑いという悲鳴のような会話が台所に立つと漏れ聞こえてきたが、今日は台所のエアコンを作動せずに済む程度の暑さだったからか、小さな子たちがはしゃぐ声が聞こえてきた。 上野の山の葵を頂く寺が管理する墓地なので雑草もなく枯れた花…

暑いです

コミケ参加せず。 昨日は倒れた人が何人もいてニュースにもなった。 昔、晴海でコミケをやっていた頃と比べたら会場内は快適になったとは思うが、外はあの頃より暑いし参加者も増えている。 死者が出なくて良かったと心から思う。 写真は明石の大蔵海岸。 昔…

大久保一郎遺作展

毎年夏になると巡回しているけれど、タイミングが合わず行けてない大久保一郎画伯の遺作展。 大阪商船の船が徴用されて沈められていく時代に、沈んでいく様子を生き残ったものの証言を元に描いたと伝わる。 父の弟の大は大阪商船の大仁丸で戦地に向かう途中…

墨田区 すみだ郷土文化資料館 空襲体験画ギャラリートーク

https://www.city.sumida.lg.jp/smph/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/3108talk.html 墨田区立 すみだ郷土文化資料のイベント 空襲体験画ギャラリートーク「 空襲体験を話す、書く、描く」に参加してきた。 先月私が取材を受けたB-29墜落地の千葉県東庄…

息子の誕生日だ。

31歳になった。 今は婚家の家業を継ぐために不動産関係の仕事に付いている。 孫はハイハイを覚えて猫を追っかけていたりする動画が送られてきた。 この家の中から出てきた戦後の雑誌をパラパラと読んでいる。 国際文化画報という写真雑誌で朝鮮戦争勃発のニ…

東庄町の広報誌 #B-29 関連でインタビューを受けました。

https://www.town.tohnosho.chiba.jp/003profile/c006/files/koho640_all.pdf リンク先から記事が読めます。 取材されたのは東庄町の若い女性で私の手元にはもうない戦記雑誌 丸 や当時の私の報告書が掲載されていた地方史誌なども取り揃えてくださっていた…

B-29についての日記を見つけたので。

https://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/2915424d7b7d84b53b92792b9e45d3ae

#ケロヨン の人

アラ還世代ならケロヨンと聞くだけで声が聞こえてくると思う。 今日は中央区の聖路加病院に用があったので山手線で有楽町まで向かいタクシーでと計画をしていたら、暑さでタクシー人気のためしばらく待つことに。 有楽町駅前暑い。 日陰がなくて暑かった。 …

来客が多く

足立区民の誇りヨックモックを頂いた。 昔は梅島でアウトレットが買えたのだけど今はやってないみたい。 戦後の足立区の旧日光街道にはお菓子の工場が多かった記憶だ。 関東大震災まで足立区には煎餅の生地を作る作業所が多く草加煎餅やあちこちの門前町の煎…

暑い日の猫

奥の西日が当たり暑くなる放置部屋の新聞紙入れの中で隠れているつもりの猫。 この部屋は猫の遊び場屋なので、多少暴れても怒られないと知っている猫たちは好き勝手に破壊活動をしている。 気持ちが良い季節になると駆け回り、冬は光合成をする。 暑い時にわ…

#神戸屋パンの八重洲店で、たっぷりと食べてきた。

友人と待ち合わせて東京駅八重洲口地下街の神戸屋パンのランチで山のように炭水化物、糖質と脂質を食べてきた。 たっぷりと食べてお腹いっぱいになり、お腹が落ち着くまで大丸松坂屋百貨店のお得意様用休憩室でお茶した。 帰宅後、家業で竜泉に行き暑さに蒸…

ほっともっと

夫がほっともっとというから今日はほっともっと

#山形県の美術界 #山形新聞の社長

#独立美術協会 の 80周年誌を読むと山形県の項目が薄い。 昭和30年代に義父の友人であった山形新聞の社長が独立会のメンバーを招いて独立美術山形展をやった記録が書かれてない。 戦前から義父が指導に通い育ったメンバーがいたのだけどその記述もない。 以…