熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

大久保一郎遺作展

毎年夏になると巡回しているけれど、タイミングが合わず行けてない大久保一郎画伯の遺作展。

大阪商船の船が徴用されて沈められていく時代に、沈んでいく様子を生き残ったものの証言を元に描いたと伝わる。

 

父の弟の大は大阪商船の大仁丸で戦地に向かう途中、海に消えた。昭和19年2月20日八重山列島沖で被雷沈没。

大仁丸は本来ならばインドに向かう客船で立派な船だったそうだ。

 

戦後、戦友が焼け残っていた祖父母宅を訪れて沈んだ後一緒に泳いでいたが気がついたら叔父は消えたと伝えてくれたそうだが、動転した祖父母は戦友を追い返した。

漁村であった神戸市長田で育った叔父は泳ぎが得意だった。

数えで16歳の息子の戦死は受け入れられるものではなかった。祖父は酒に溺れていった。

私には優しい祖父だったが、酒が入ると変わる時があった。

背負って長田港に連れて行ってくれたし、一緒に海を眺めたが、その頃は戦死とかはわからなかった。

そこは昔は泳げたそうだが、昭和40年ごろは汚かった。

 

大仁丸の最後の様子はよくわからないが、叔父は戦友としばらく泳いでいたのだから助かった人も多いかも知れないし、ごく僅か生き残った1人が祖父母を訪ねて追い返されたのかも知れない。

今なら高校生ぐらいの男子が戦友として最後の様子を伝えに遺族宅を訪ねた時代。真面目な子どもが兵隊に志願した時代。

私はそれを経験したいとは思わない。

 

最後の様子を絵にした大久保一郎画伯。

残念なことに発見されてから修復されている絵は30あまり。

大仁丸の絵も写真もないが、もしかしたらどこかの倉庫に眠っているかも知れない。

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