熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

 落合皎児 回顧展 海に眠る特殊運送船・大仁丸 

上野の森美術館で開催している『落合皎児 回顧展』最終日駆け込み。

週間天気予報で今日はちょっぴり気温が下がるとあったので体調を整え駆け込んだ。

私は青を使った作品に惹かれた。

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会場受付にはご子息がおられて、画家の遺族がやれることなど雑談した。

Wikipediaをおすすめしたり。🙇‍♀️

 

『概要 1989年にピカソやミロらと並ぶ「スペインの現代作家150人」に選ばれた画家/版画家・落合皎児。帰国後も奔放に暮らしながら創作活動に生涯を捧げ、最期は火事により非業の死を遂げた数奇な生きざまは、去年ドキュメンタリー番組( ザ・ノンフィクション)としても放送された。その遺作の数々が、息子の手により世に放たれる。
展示作品は版画など約20点。アトリエで焼け残った落合皎児の作品たちは、見る者に何を語りかけるのか。』

去年秋、やはり画家の遺族である夫とこのドキュメンタリーを観て夫婦で絶句した。

画家の作品と資料が山のようにある家に嫁いだ私は、それをなんとかしようと右往左往しポツポツと美術館に義父の作品を収蔵してもらえるようになったが、落合皎児画伯の息子さんも美術館などに問い合わせをされているそうだ。

https://www.fujitv.co.jp/thenonfx/_basic/backnumber/index-248.html

 

 

上野の森の木陰には結構な人数の外国人観光客が座り込んでいて自転車で走り抜けにくかった。

 

↓来週の日曜日にも用があるが34度なら大丈夫かなとか感じるようになってしまった。マヒしてるわ。

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父の弟を輸送していた陸軍の特殊運送船(雑用船)の大仁丸。

昭和19年2月に沈没。

弟さんは16歳。

神戸市の林田区(現長田区)の駒ヶ林町で生まれ育ち海に親しみ父と共に水泳が得意だったそうだが、大仁丸沈没時しばらく戦友と泳いでいたが行方不明になった。

戦後、戦友が留守宅を訪ねてきたが話しを聞いた祖父母が追い返してしまったそうだ。

まだ10代の復員兵に残酷なことをと私は思ったが亡くなった情報は欲しくなかったのだろう。

祖父母はどこかの島で生きてるのではないかとずっと願っていた。

 

父は水泳が得意だったが私には浮き方を教えてばかりだった。ひたすら斜めに仰向けでる浮かぶ。

私に子ができプールに行くようになると水難事故を神経質なまでに気をつけるよう言い、息子にはウルトラマンのライフジャケット、娘にはキティちゃんのライフジャケットを贈ってきた。玩具ではあるが浮く。

キャンプなどで清流で遊ぶときなどはそれを必ず身に着けさせ、海でも着せた。

 

阪神淡路大震災前の夏だったか父が須磨の海に子どもたちを連れて行ったとき、孫の身体に綱をつけて海に投げたそうだ。

父は離岸流を教えたかったようだが、幼かった娘は楽しかったとしか覚えてない。

 

子どもたちが大きくなると釣具屋さんでライフジャケットを買って着せたのも今は昔。

 

私には8歳下の弟がいるが、名前は大二郎で、叔父の名は大(ひろし)でちなんだ。

その叔父が乗船していた船が大仁丸。

昭和19年2月20日沈没。

とか色々ふと思い出して、国会図書館デジタルコレクションで検索した。

大仁丸は立派な船だったと聞いてはいた。

うろ覚えで大阪商船とかだったが、調べると大洋海運かも知れない。

私は父が外でつくった子なので父に関しては色々難しい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jinnavi/225/0/225_47/_pdf/-char/ja

 

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