熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

暑いです

コミケ参加せず。

昨日は倒れた人が何人もいてニュースにもなった。

昔、晴海でコミケをやっていた頃と比べたら会場内は快適になったとは思うが、外はあの頃より暑いし参加者も増えている。

死者が出なくて良かったと心から思う。

写真は明石の大蔵海岸。

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昔、もう父がいない明石に母と娘と息子を連れて遊びに行き、息子はホテルで留守番をして、私と母と小学生の娘、私の幼馴染とその娘、その子は娘と同い年で赤ちゃんの頃から毎年遊んでいて幼馴染として今も互いに神戸と東京を行き来している。

つまりよく知った身内で明石の花火大会に行った。

それまでは市役所で花火大会が開催されていたが、朝霧の海を埋め立てた大蔵海岸で初めての花火大会となった。

海岸に行くには朝霧駅から歩道橋を渡らないと行けない。駅から近い歩道橋は一箇所、明石側に歩けば海岸に抜けられるトンネルがあるが、案内板は歩道橋を示していた。

私たちは歩道橋に入ったが作りを知っていたので明石側を歩いた。明石側は右側になる。

左側を歩いたら奥はエレベーターホールになっていて右側に合流しないといけない。

私たちは右側を進み、途中で詰まった。

子は小さい。母は老いが出ていたが、娘らの空間を私たちは意地でも確保して進んだ。

奥は予想通り人が詰まっていた驚いたのが海岸側からも人が入ってきてて、階段を降りるに降りられない。

それでも右側を確保していたので子と母と私たちは手すりを掴めた。花火が始まっていて、エレベーターホールの前の警備員は多分立ち止まるなと叫んでいたと思うがホールは花火を見るに良い場所でもあったので、詰まった人たちは身動きできない。

私たちはなんとか階段を下り、空間を得た。

花火とは違う変な音がした。

が、私たちは登る人降りる人で混雑する場所から離れたくて明石側に歩いて行き、砂浜に座って花火を眺めていた。

なぜか救急車のサイレンが次々と聞こえたが浜国道と国道二号線の合流地点でもある大蔵海岸近辺は渋滞しやすい。

サイレンの音はどんどん重なるが花火は美しかった。

花火が終わり、なんか朝霧駅方向が変に混んでいるから私たちは明石駅に向かって歩いた。

国道は渋滞していた。

明石の銀座のカフェーでお茶をして、他の友人に電話をして色々知った。

友人母娘はお父さんが車で迎えに来ることになり、私たちは明石駅近くのホテルでテレビを見た。

 

 

明石の花火大会の会場と動線コミケより狭いし、人数もコミケより少ないのにあのような事故が起きた。

 

コミケ参加者は色々言われているが意識が高く、スタッフもよくやっている。

 

私が不安に思うのは来年の東京オリンピックだ。

学位のためのボランティアや中学高校から動員されたボランティア、好きなイベントのために集まっているコミケのボランティアとは異なると思う。

 

言葉が通じていた明石の花火大会ですらあの惨事が起きた。

かつて隅田川永代橋が花火大会の時に崩れて多くの人が亡くなった。

空襲の時、関東大震災の経験者もいたのに、言問橋の惨事があった。

 

オリンピック会場の多くは埋め立て地で橋を渡る。

言葉や交通ルールが異なる人たちが集まる。

それだけでも不安を私は感じるし、夏は暑い。

ミストだ、打ち水だと焼け石に水の対策で大丈夫なんだろうか。

 

私の性格もあるが、不安だ。