熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

疲れが溜まっているかもだ

交通事故の加害者側の損保ジャパンは相変わらず金を1円も払わないし、難癖が酷くて夫は心身と経済的にも疲弊している。医療費は高い。

夫は夜寝ている時にうっかり痛い動きをすることが毎日あり、その度に悲鳴をあげるし、のたうちまわり症状が悪化する場合もあるので、見守りを続けている。
一昨日は娘が交代してくれたので私は眠れた。
宿に泊まった時も眠れた。
月に一度外泊することにした。家の電話も怖いし。
夫に何かあったら私はこの家を維持できない。都内に住むことも無理だろう。
ホームレスになるかも知れない。とかほぼ無職の私は不安である。
義父の絵も解体屋さんが処分することになりかねない。

息子は婿養子に出たし、娘も嫁に出るだろう。
介護離職と離縁を経験した私は子に同じことをさせたくないので、安楽死法ができたら良いなと願っている。
不健康な長生きはしたくない。




私は4月の末に何をやらかしたのか理解できてないことで怒鳴られてからオカシクなっている。

夫は相手があれだけ怒鳴るのだから私が何かしたのだろうと、娘も私が悪いのだろうと言った。
夫は翌日に相手方に謝罪電話を入れたが留守で受付の人に謝罪をして折り返しの電話を待つもなく、それに対しての気持ちも一時期私に向いていたので、夫も私もストレスは溜まった。

何回も書いてるが、私が何をしたのか、何を盗んだのか、何故馬鹿とまで言われたのか、まぁドクター出身の人から見たら私は低学歴の馬鹿だけどね。その人の出身大学院の人は選民意識が高いので昔から苦手ではある。
が、その人とは良好な関係だと思っていた。それは私の一方通行だったのだ。私に対して溜まっていた不満が一気に溢れ出したのだろう。



ジャンルといえば戦記も面倒だった。


戦争系をやってる人には私をミーハーだとか俗物とする人が複数いた。別冊丸で連載をしているときも助言ではなく取材先を譲れもあった。
高射砲陣地の取材の時は疲れた。
私は高射砲陣地の戦死者や戦友、遺族、炊き出しの取材をしていたので、わかってないと呆れられた。突然怒り出す人もいた。怖かったけど、この人は怒鳴れは相手が思い通りになる恵まれた育ちの人なんだろうなと見てた。
彼らはアラ探しが好きだった。

B-29操縦マニュアルも最初にネットにあがったのは揶揄だった。揶揄をした人は今はミリタリ系で本を何冊も出している。
私はメカニックに詳しくないし、つか何もかも詳しくないから調べ続けているわけで、だからミリタリ系の人たちにB-29操縦マニュアルの翻訳を手伝って欲しいと声をかけたが、ミリタリ系の男性は誰も参加しようとしなかった。
手伝ってくれた男性は趣味がヨットの人や、オートレースの人、車メーカーの研究者だった。
メインは女性だった。
医学用語も女医さんに助けてもらった。
あとは米国のB-29戦友会とフィーフィーを飛ばしている人たちにも助けられていた。

残念ながら書店に並んだら、今は何故か消えたがAmazonの書評は散々だった。

戦時中の最先端技術の塊だったB-29のマニュアルに使われていた単語は私たちの辞書になく、当時はワープロで書いており、インターネットはまだ発達中でパソコン通信の時代だった。
国際電話代は高くてファックスと、メールでやりとりをして、野田昌宏先生と大倉喜八郎の孫の大倉さんが助けてくれていた。

ニフティで揶揄っていた若手たちは、私がニフティの会議室で質問をしたときも無反応だった。彼らに売れるはずがないと言われたので部数は絞った。
彼らは群れるし。群れて常に情報交換をしているから自信あるし。歳上=老害だし。


丸の連載を本にする話も出たけど、あれだけ揶揄られていたものを本にする勇気はなかった。




今は義父のことを本にすればと言われることもあるが、数年前に美大の講師から基礎教養がないと言われて、遺族は身贔屓評価をすると言われて凹んだ。
あと熊谷登久平は画家ではないと、美術の世界の基準では画家ではないという意見も頂いた。

スルー技能が欲しい。

B-29操縦マニュアルの時の揶揄は翻訳作業中に次々と亡くなっていった方々に申し訳なかった。

介護離職後、別ジャンルの美術史に入ってしまったので私の過去の仕事を利用してはいるが、間違いや誤訳や校正ミスを知っているから実は恥ずかしい。

B-29操縦マニュアルでも怒鳴られたことはある。翻訳を出したいと言ったら戦争賛美と言う人もいた。

丸で書いていたことを民主党支持の親戚からは反対もされていた。

生きるのは面倒だらけだ。