熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

具合悪いです

四日間ほど微熱が下がらないので流石に今日は体を起こすのもしんどい。
低体温症の反動だとは思うけど怠い。
仕事をしていた頃はまだ40代だったのでユンケル数本と濃いコーヒーでなんとかなったのが今ではどうしようもない。

昨日、用があって十条に行った。
十条駅南口前に居酒屋のかぶら屋があった。
私が現役だった頃は池袋に一店舗あるだけの新参居酒屋でドラム缶の上に板を置き、それをテーブルとする立ち飲み屋だった。
そこを少し歩けば人気の居酒屋みつぼがあり、価格帯は似たようなものだけど、並ばないで入れるし池袋駅にはかぶら屋の方が近いのでたまに寄った。
どんなに仕事で疲れてても、帰宅したら母親と妻としての家事という仕事が待っており、帰宅する前に心の切り替えが必要だった。
池袋のかぶら屋は立ち飲み屋だから座り込むことなく、必要な栄養をとって帰宅できる有難い店だったなあ。
十条のかぶら屋もめちゃ美味しかった。
懐かしくて美味しかったです。

仕事をしていた頃、オヤジ臭いけど薬局でユンケルと肝臓に良いと言われているドリンクを飲み、居酒屋で貧血対策のレバーと野菜串を適度に食し、土産用を頼んで包んでもらい赤羽まで列車に揺られ赤羽からバスで30分以上かけて自宅に帰る。
簡単な晩御飯を用意して二人の子に食べさせて、そのあと元夫が疲れて帰宅してくるので、彼には彼の好みのものを出して家事が終わったら仕事部屋のある実家に向かい持ち帰った仕事を終わらせてた。
朝ごはんは作らなかったので、シリアルや前日の残り物を子は食べる。
交通安全週間だと私は交差点に立ち旗をフル。

若かったからできたんだなと。
削るものは睡眠時間しかなかった。多分寿命も削っていたけれど好きなことを仕事にする場合、同じことを好きな優秀な人は山といて、そこで生き残るには能力が無ければ寿命しかないと思うな。
死んだとしても本望と思えることをするのだから、不器用な私はあれば精一杯だったのだろう。

好きなことをする為にブログで儲けている層もいて、年収1000万円を軽く超えている人がいるようだが、私は文筆活動の楽しみの中に出逢いもあったので、似たような価値観の人たちで固まるのは面白くない。
なんだかんだ言っても、地味にコツコツと調査をした結果が博物館の一画に常設展示されている喜びや、20年以上前に出した本の話題が今になってされることの嬉しさ。
サクッと書いたブログでサクッと儲けても魅力ではあるけど、割の合わない仕事をして私の死後も誰かの目に触れるという自己主張も結構楽しかった。

裏でエロやって得た金を回す自転車操業ではあったけど、それに介護離職という終わり方でもあったけど、元夫に若い女ができて離婚もされたけど、おかげで独身となり旧知の今夫が不器用な求婚を数年間重ねてくれて、承諾したら高校時代の推しの一次資料の山の家というのは人生のご褒美だとも思う。
こんなに資料が未整理で残っているとは思わなかった。
少し整理しておいて欲しかった。あと、取材していて欲しかった。

この家と周辺は「B-29操縦マニュアル」を出すときに世話になった大倉財閥の御曹司の大倉徳一郎さんの親がお茶会をよく開いていた。
熊谷登久平の曾祖父の兄が勝海舟の日記によく出てくる熊谷伊助とか、もうね美味しい資料だらけなのよ。
大倉徳一郎さんのお爺様の大倉喜八郎が熊谷伊助の友人だった不思議な縁。



今夫は「明子さんと結婚するために僕は独身だったんですよ」と、恥ずかしいことを言ってくれるけど、私が50代になるまでの間、コツコツと積み上げてきた人脈や縁が、今夫と結婚する時の身元保証にもなったのだから、睡眠時間を削った仕事と無駄ではなかったなあと。

江戸東京博物館常設展示されているB-29の機銃を持ち込んだのは私だし、一緒に調査して予算とってくれた板谷学芸員と今夫宅の向かいのお住職の金子さんが元同僚とか。

大倉家所縁の美術館で働いていた学芸員が、私が働いていた足立区立郷土博物館の常勤学芸員に入っているとか。
おかげで義父の資料をいざとなったら足立区立郷土博物館に収蔵って話になったんだけど。
人の縁は不思議でありがたい。


以下もダラダラ。















あと団地の団塊世代主婦グループの一つと合わなくて、自治会の役員の時は難癖つけられて大変だった。
私にお子さんが可哀想と思わないのかとよく言われた。

まあ、私の子は、私が介護離職をしたために働きながら高校を出て苦労はしていると思う。
そのかわり二人とも家事はできるし、とか言っても今時のまともな教育は受けさせてないわな。
私の時代から人は最低でもマスターを出ないとと言う人がいたけど、今は日東駒専以下がFランクと言われて怖いなと思う時がある。

東大の学生が東大の学生でない女性に酷いことをしても罪に問われない事件もあったけど、Fランクレベルの女性は気をつけないと殺されかねない時代。

で、Fランクではないアッパー層と呼ばれる人種たちはタワマンを買い自分たちを勝組と誇っていた。


それを例えば数年前気楽な店で会ったご夫婦はタワマン すみで、うちが谷中の高台の一軒家だと知って、「いつも見下してますよあの辺は暗いですね」「今ならあの辺も売れるでしょう。買い換えた方が良い投資になりますよ」などと言ってくださったが、そこは元海名残の地域で、治水がかなり進んだ平成になっても浸水があった土地ですよとは言わなかった私は大人。
あと、見下ろせるという表現は合っているのだろうか?
視野的には入るけど人の視野ならほぼ平行だ。

動物園が見えるし、花火も見えるから住んでみたいとは思うが、買える金もないし、負け犬の遠吠えで。
でもタワマン族で羨ましいのはローンがない層だったりします。
父の工場がダメになった時の苦労や、ママ友で住宅ローンが焦げ付いた人の苦労とかみてきたので、ローンは怖いと思うのですよ。