熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

しつこいですが、熊谷登久平は洋画家でイケメンです。

今日午前来客があり、義父の写真などの遺品を見て帰られた。

長谷川利行さんの写真はありますかと聞かれだので喜んでアルバムを見せた。


ほら、この写真イケメンでしょ。
これもイケメンですよね。
この女性は菊池寛と取り合って勝ったサロン春の女給頭ですよ。
この人中村屋の写真でインド人と写っていたのでインド人かもです。まあ、この人もイケメンですけど、熊谷登久平の方がイケメンですよね。

ほらほら、これ多分長谷川利行さんなんです。バックを取ってるのが熊谷登久平です。良い写真だと思いませんが。
この多分長谷川利行さんの写真って知られてないですよね。

矢野文夫氏が現存してる長谷川利行の写真は自分が撮影したものだけだと書き残しているので、この人が長谷川利行だと言っても信じてもらえないんですよ。
熊谷登久平と長谷川利行が並んでると浪漫感じませんか。

摩利と新吾」って知ってますか。知らないですかそうですか。では「玉杯に花受けて」とかは如何ですか、あれが騒がれないのは理解できないんですよ私は。

熊谷登久平って金持ちのボンボンで、仕送りたっぷりもらい過ぎていたから、中央大学と川端画学校両方通って、中央大学では美術部立ち上げて、応援団に属して芸者さんと遊ぶブルジョワだったくせに労働階級ごっこをしたら結核で倒れたんですけど、岡惚れした女給が献身的な介護をして結核から生還した男なんですよ。
この病み上がりの熊谷登久平ってイケメンですよね。


あ、この本に熊谷登久平の年表が載ってます。
年表作ったのは熊谷登久平の旧制中学時代の同級生で、旧制中学時代も旧制大学時代も友人に恵まれた上に、嘉納治五郎先生の講道館で学生時代の段階で二段、最終的には四段まで取ってるようなスポーツもできるリア充ですよ。
しかも歳上の美人に献身的に養われてた時期があるんですよ。
この家は妻妾同居ですよ。
他にも女性がいたそうですし、男と女両方からモテモテだったんですよ。

大正時代、慶應大学の応援団と熊谷登久平が団長をしてる中央大学の応援団が乱闘になって勝ったと新聞記事に載ってますよ。

とかを説明した。
画家としての熊谷登久平の偉業を話すのを忘れていた。