熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

頭ガンガンしていますが、血圧は正常。

今日もだるくて微熱がひかないので、夫に車で徒歩五分の病院に連れて行ってもらい点滴を受けた。
薬は違うのになった。
インフルエンザではないようだ。
まあ、安静って事で。
薬局で疲れが取れる薬が欲しいと話したら、豚肉を勧められた。あとユンケルも悪くはないそうだが豚肉。それと野菜。

病院からの帰路、義父の熊谷登久平が好んでいた和菓子屋の喜久月で栗蒸し羊羹が始まっていたので誘惑に負けて購入。
http://home.s07.itscom.net/kikuduki/
川端康成森鴎外も常連さんだったというのに文豪コラボをしてないお店。
美味しいです。

久月から自宅までのゆるい坂で息切れして動けなくなり、夫に電話をして迎えにきてもらった。
体調が悪いと自転車も乗れないし、歩くのも辛い。
歩けるうちに病院に行くようにしているけど、今回は疲れと頭痛が抜けなくて、今週はロキソニンで生きていた気がする。

途中にお気軽にお入りくださいと書かれたギャラリーがあったけど、昨日の他のギャラリーのツイートを見たあとなので魅力を全然感じない。
あのギャラリーの書き込みに対してイイねをしているのが画廊系だけというのが気持ち悪く、選民意識が高いというか意に沿わない奴は観に来るな的な発想をできる、私から見たらファッションの一端としてのギャラリーなのかと思う。
貸画廊なのか企画画廊なのかはわからないけど、観に来る客を選ぶという意識があるなら格があると無自覚でもあるのではないだろうか?

私自身、15歳の時に仲間と場所を借りて展覧会をやったところから色々とスタートをしている。
朝日新聞神戸新聞が取材をしてくれたので客は多かったし縁も増えた。

物書きと編集業も当時まだ珍しかった同人誌即売会に大友出版で自費出版したのを売るところからスタート。

私は地べたで金を払って見てもらうことからスタートだったから画廊が客を選ぶことに違和感なんだろうな。


一応、有楽町の画廊に絵が並んだこともある夫と色々話したけど、客を選びたいなら有料にすれば良いのに。
敷居が低いように思われる形式で営業をしていたら客層も玉石混合だろう。その石が玉になる場合もあるから格が高い画廊でもオープンになっている。

義父も共同展覧会はあちこちで開催している。
個展になると場をかなり選んでいる。
日本橋三越から話が来ても断り、お弟子さんから頼まれて三越を受けてからは会場で交流もしていたそうだ。


義父や夫とは違いはあれど、場を借りて作品を展示するのは楽しかった。でも、あの頃の同人仲間で油絵科に進んだのは多いけど、アーティストとして食えているのは福田尚代ちゃんだけだ。
漫画家になったのは何人もいる。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18509

福田尚代ちゃんのガリ版印刷の同人誌、私今も持っている。コマ漫画も描いてました。

昨日も書いたけど、長谷川利行と熊谷登久平もこの近所の彩美堂で二人展をやったことから里見勝蔵先生に見ていただけて世界が広がった。
これも昭和だけど。

しつこいけど、なんで画廊が画家の客を選ぶのかなあ。
その客が出世して買ってくれるようになるかも知れないのに。
そんなに不愉快な客だったのなら、その場で断るのも画廊の仕事じゃないのかなあ。

発言した画廊?ギャラリー?がやった企画の作家名で検索したら該当客出てくるのに。
嫌だと思うし、それを画廊にさせた作家も品がないと感じた。
あと、ググったら店主が感じ良いという感想を書いているのは常連。
嫌な思いをしたと書いているのは一見さん。
評価高くして嫌な思いを書いてる人もいる。
入り口に、注文の多いギャラリーです。とでも張り紙をしておけば良いのにね。

東京はギャラリーが多いので若い頃からあちこち覗いてきたけど、嫌な思いをすることが最近はある。
感じ良いところは本当に感じがよく、作品を楽しめる。
残念ながら数万円の絵も買えないんですけど、気に入った作家さんの缶バッジを集めている。
栞も買うことがある。
それを見て作品を思い出すのは楽しい。

そういえば、あるギャラリーで作家さんが尊敬する人とかち合った。
入り口でその偉い人に挨拶をしたけど民草を見る目でゾクゾクしたが、会場にほぼ同時に入ったため目当ての作品の前に椅子とテーブルを寄せられて作家さんは偉い先生とやらに敬語で必死。
つか私を押し退けて挨拶してたし、あたし足悪いんだけど転んだらどうするんだろう。
目当ての絵は見られないし、あれは残念だった。
ただで見せてやっているのだからというのかしら?
結構好きな作家さんだったので残念だった。
もう見たいとは思わない。

そこは夫の幼馴染の家だった場所で、お母様は他所で画廊を経営していたという。
残念ながら、その幼馴染は同窓会では行方不明となっている。