熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

千葉県市川市行徳の自性院にある #勝海舟 が、#熊谷伊助 を偲んだ歌碑の案内板

義父の熊谷登久平の実家、岩手県の千厩の豪商日野屋を生家とする熊谷伊助は江戸の蔵前で商人として成功し、勝海舟の友となり、勝海舟日記に何回も出てくる謎の人として忘れられているが、谷中熊谷家(うち)、片瀬熊谷家(伊助の直系/片瀬写真館)、千厩熊谷家(本家、日野屋)は誰もがみんな知っている。

その伊助は横浜開港のための埋め立て工事やらなんやら、横浜にも貢献してあの『横浜物語』は伊助がいなければ成り立たないぐらい貢献したのに、関東大震災の前の開港記念周年行事に資料を横浜市に貸したら景気良く燃え。

次は空襲で燃えて、横浜市には資料がほとんど残っておらず、勝海舟の人間関係調べている人の間でも謎の人になり、本当に忘れられてしまっていた。
横浜開港資料館に伊助の資料は少しあるだけだ。

勝海舟記念館に問い合わせたら残念な言葉を頂戴したぐらい忘れられている。
勝海舟日記に名がある人多いしね。

で、市川市の行徳には勝海舟が伊助を偲んだ歌碑があるが、去年まで案内板には「勝海舟が愛した女を偲んだ歌碑」となっていて最初は市川市に連絡したらいまわしで、次は図書館に問い合わせ、博物館に問い合わせ、両者案内板が間違えているのはわかっていたけど案内板を建てた部署が違い、市川市の一般的な歴史書籍にも「愛人を偲んだ歌碑」と書かれていた。

それが、やっと千厩の日野屋の資料と、博物館の学芸員さんと、寺の御住職夫人と檀家の人の協力で間違っている箇所にシールを貼って訂正してもらえた。

が、今年は暑く寒く雨も降るしでシールの状態があまり良くない感じ。


私はコロナ禍で今はまだ千葉に行けないので、学芸員さんに写真を送っていただけました。

そのうち、案内板建て替えられたらいいな。





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