池之端画廊在廊 島村直子
昨日も熊谷登久平は下手な作品が多いと連呼されて、凹んで、良い作品もあるとフォローを頂きましたけど、ごめんなさい、私は熊谷登久平の絵が大好きなので今日は体調を崩して寝込んでます。
前回の熊谷登久平展では良い作品が一点しかなかったと言われて、相手さんにとっては私へのエールかと思いますが心の中で折り合いをつけられませんでした。
今朝は体温が35度に満たず、立つのも辛いです。腰が痛い。
現役時代は痛み止めの注射とニンニクの点滴とユンケルで仕事を頑張りましたが、当時の仲間たちが次々と突然死を迎えたこの10年、あれは寿命を削り前倒しする方法だと知り、明智抄が死んで夢を語り合える相手がいないのに生きるのしんどいと思うも、私が生きてないと困る人もいるのでだるい時は寝ることにしました。
今日はみっともないですが画廊サボります。
仕事といえば書評や映画、ゲームレビューの連載も商業誌で長くやっておりましたが、私が好きでは通らないのか芸術の美学の世界らしく。
でも私は美学をまったく理解しておらず、どんなに本を読んで美術館に通っても熊谷登久平が下手なのが理解できておりません。
中央画壇で50年近く絵が公募展から大規模な展覧会で展示されて続けて、戦前に資生堂でも何回か展示されて松坂屋、高島屋、三越に至っては美術部門から何年も口説かれて本店個展を連続でやれていたのは、庶民の私からしたら画家です。
独立美術協会の独立展一回目から派閥闘争時代を経て亡くなるまで出品を続けていたのは私は凄いと思ってしまうのです。
↓未完成なので作品ではないらしいけど、私は好きな絵です。
5年ぐらい前にも、熊谷登久平は画家ではないと公立美術館の学芸員さんに言われて、純粋美術の画家ではない的なことをオブラートに包まず的な感じで。
この純粋美術の画家でないと美術の研究職が言うのであればそうなんだろうなと、今もそういう格差をつけるんだと。
まあ、熊谷登久平の生家はアッパーミドル層であり、熊谷伊助が長生きをしていれば男爵ぐらいにはなったかもだけど、爵位がなければ豪商の息子でも中流ってのが戦前の身分社会だし。
大倉喜八郎が商売を大きくするために伊助の実家に金を借りたこともあるような家でも中流。
純粋美術かそうでないか、画家に対してのそういう感覚が、日本美術の研究職にあるというのが驚きでありました。
私は基礎教養がないので、この純粋美術画家の定義を未だに学べておりません。
基礎教養というのは昔は大学の2年間で学ぶものだったそうです。
それをご鞭撻くださったのは私が20代後半の頃でしょうか。
学芸員資格を持つ、ご両親も国内優秀な大学卒業の教養人であり一族郎党全てそうである方が、私と仕事を組まされた時に泣きながら「あんたが受験勉強もせずに遊んでいた頃から私たちは努力を続けて大学で基礎教養を学び、院でも下積みを重ねたのにぱっと出のアンタが同じ部屋にいる」と。
その人は家の事情、生まれた場所、立場、親の会社が倒産するかもということを全く想像することなく、彼女の家が貧乏な友人も努力して大学に入ったと。
どんなに批判があっても潰れることがない職場の親、戦前生まれでも親戚全部大学に入れる日本の上澄という環境が多少恵まれた家感覚のお嬢様。
娘の奨学金を使ってしまう親が存在することが想像できない。せめてと新聞配達をして進学する新聞奨学金制度に駆け込んでも、親の借金返済のためにそのお金も渡し、中退する事情も不幸自慢と、不幸を語るしか実績がないと馬鹿にされる。
履歴書に書いた複数の入賞歴もネタにされる。なぜ履歴書の内容が漏れたのか、まあ学閥の職場だったしそう言うものか的な。
そりゃ上には上があるし、幼少時から親の関係者たちの家と交流していたら、高卒は怠け者に見えるんだろうな。
つい、溜息をつきましたら逆鱗に触れて彼女は私と仕事をしていた部屋から飛び出して他の職員たちがいる大部屋に飛び込み泣きながら私の名を連呼してくれたものだから、「何を言ったんだ」と彼女の学閥たちに責められましたよ。
彼らの言う教養とは生まれた環境込みなのかなと。
その後、私は教養がないが口癖になっております。
人間最低でもマスターということを言っていた彼らも今は50代、人間として快適な文化的生活を送られているでしょうね。
3年前、彼女の先輩から突然怒鳴り声で電話があり、私が過呼吸を起こすまで「馬鹿記者」と連呼されたことがありましたが、あぁ、彼女と同門だった彼からしたらマスター以下は人間じゃないんだよねと、そういう環境に長くいたから自然なことなんだろうなと「馬鹿記者」連呼。そうなんだろうな。
でも私は他人の研究を盗んだことはなくて、先人が残したものをコツコツと訪ね歩き、金がないから青春18きっぷと全国にいる同人仲間宅に泊めてもらいながら調べたものだった筈だったものだから、学芸員資格もちの常識が私には結構わからないものではあります。
ここ半年ほど、下賤な私にも教養をわけてくださる学芸員さんと、学びが足らないとご鞭撻くださる学芸員さんと接する機会があり、ありがたく。
でも何が逆鱗なのかは無教養なので今も理解できておらず、突然声を荒げられると萎縮してしまうのは怒鳴られ殴られ蹴られてという育ちの悪さゆえで59年生きてても治らず、相変わらず要領悪く右往左往しながら闇雲に生きていくのでしょう。
でも登久平の絵は下手だとか、未完成とかは聞きたくないです。納得できる理由を並べるではなく、感性的に下手を連続されると、それは嗜好に合わないだけではと。
私がにこやかに対応しないからか、何回も下手を繰り返されるのも辛いです。