熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

盗用的な

私は本当に身に覚えがないが、ある歴史研究の会の実績を盗んで雑誌記事などにしていたことになっていて、あまりにも自覚がなく、手弁当で生存者を訪ね歩き、時には塩をまかれることもあつたが、一人で取材をしていたとしか言えない。

甘いかもしれないがお金の節約で青春18きっぷの時期に全国を在来線でまわった。

 

それは私なりの戦争を繰り返さないという青臭い無駄な努力であり、16歳で海に消えた父の弟や栄養失調で死んでいった母の家族、また栄養失調で死んだ父の長男への供養も兼ねていた。

私が丸で連載していた記事は若い人には薄いと不評で、匿名掲示板では酷いことも結構書かれて、中には知り合いしか知らない情報も書かれることもあった。

何年書いてもビギナーズラックと言われ続けた。

女はトクだと言われることもあった。

 

私は戦中の日常を書きたかった。

 

あの人が、あんなことを言っていたと教えてくれる人もいた。そのあの人は今は立派な物書きだ。私は死ぬまで恨むだろう。

ミリタリ系の男子校的なマウントをして揶揄する一部の人たちが大嫌いだ。

去年も私が機体ナンバーを特定して追跡調査をしたB-29の事を少し書いたら、若手に今はB-29の専門家的な人がいるそうで、その人に失礼だと言われた。

私が調べる前は搭乗員の名前も機体ナンバーも落ちた日にちの特定もされてなかったものなのに、老害は黙れ的な。

この老害は的な、私が昔調べた集めたことが若手にはムカつくことなのだろう。

教養のないババアが語ることの目障りはなんとなくわかる。

私の娘が交通事故にあったときに、史学科のマスターの人が天罰だと言ったそうだが、あの頃と人は変わらない。

 

 

 

 

私が盗んだ、私が調べていないと言われている多くの調査資料は、もしかしたら私が渡したものをその人たちが再調査をして密度を高めたのかもしれない。

ならばその人たちのものであるから、私に問い合わせがくるのはおかしいことで、そちらに問い合わせをして欲しい。

先月資料を揃えるように夫に伝言があったが、それはその人たちがやるべきだ。

作家さんは私に調査を依頼するとある程度包んでくれていた。

 

馬鹿記者と散々怒鳴られて、それがその人の本音だったんだと知った時の私はもう30年の実績と信じていたものが崩れ落ちたし、盗用疑惑があることを、新しい仕事依頼をもらった時に説明すると依頼はなかったことになる。

盗用疑惑が出たのが4月、それ以降、私は執筆の仕事がない。

その事情を話すとある程度進んだ企画も最終的に無かったことになる。

先日の良い話が無かったことになった時は切なかった。

心療内科に入院させてほしいと懇願したが、今はベッドがない。

 

 

4月末、電話で突然怒鳴られて私がパニックになっていたときにそばに居たのはヘルパーさんと、後から飛び込んできた夫だけど、夫は相手が大学で教えているような偉い人だから相手を信じたし、娘も相手を信じた。

夫は私を叱ったあと相手に謝罪電話をした。

 

しばらくの間、私は何もできなくなりトイレがせいぜいだったし外に出られなくなった。

 

その後、私があちこちから集めてきて渡していた写真がニュースで流れているのを見た。

あぁ、だから相手が私を威嚇したのかとも私は感じたが、あれは数ヶ月経っても怖さが出る。

他の人が調べなおして上書きされたのは歴史の世界ではあるだろうけど、著作権問題や人の実績を盗んだと言われるのは今も理解できてない。

脅迫状もきたし、あと、今は夫はいいことを言うが、あの時は私を責めた。それはなかなか忘れられない。

夫には上面でも良いから信じて欲しかった。庇って欲しかった。

 

 

 

今、私は熊谷登久平の生誕120年の個展をやれた前年度でぽっくりといけていれば、婚家を引っ掻き回しているとか、盗用記事を連載していた馬鹿記者と怒鳴られることなく、あの世で庶子だけどよくやったと親に褒められたのではないかと、今からでも間に合う盗用と言われないですむと色々心が誘惑される。