熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

千葉県木更津沖のB-29の脚

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20201211/1000057369.html
以下上記より一部抜粋
「千葉県木更津市の沖合で漁船の底引き網に航空機の車輪や脚のような形をした金属製の物体がかかり、引き上げられました。」

木更津市沖合にて航空機の車輪や脚が引き揚げられた。
B-29の脚の特徴を持っているので、私はB-29の脚とタイヤだと思う。
タイヤ、足立区舎人に墜落したB-29のものと似ている。

https://www.google.com/search?q=B-29%20%E8%88%8E%E4%BA%BA

また私たちが翻訳した『B-29操縦マニュアル』の絵の脚とタイヤにも似ている。
この三角形の部分は翻訳する時に皆で悩んだ。


房総半島は首都圏を攻撃したB-29の脱出路でかなりの数が落ちている。
日本軍も必死だったし、B-29の欠陥もあった。
墜落していくB-29の中で怯えた搭乗員もいたろうし、パラシュートが開かず地面にのめり込んで死んだ搭乗員もいた。

脱出が成功しても日本軍に連れて行かれて収容先で空襲による火災で死んだものもいるし、銃殺されたり人体実験に使われたり。
B-29の搭乗員にも家族がいて、ご遺族に会いにアメリカにも行ったし、来日される生き残りの方にもお会いして現場を案内した。
広島の原爆で亡くなったB-29搭乗員の捕虜もいて、その責任を問われた太宰博邦特高課長は義父のお弟子さんだ。
戦記雑誌丸での連載時や足立区立郷土資料館の調査員時代に私はB-29に関する沢山の物語を見てきた。

このB-29の搭乗員も沢山の物語があるのだろう。




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戦後50年の頃はプロペラやエンジンの特定は私に問い合わせがあったものだが、介護離職をしてから長く、もう私は忘れられた存在だ。
去年戦後50年の頃に千葉県東庄町の広報から取材を頂いた時は驚いた。

今の私は若いマニアたちからは「赤本も資料という老害」認定もされてしまい、ミリタリ系オタクは残酷だ。
本当にサンケイの赤本や早乙女勝元先生たちの著作や丸とかしかB-29を知る資料がなかった時代もあったのだが、インターネットが普及していない頃とか若い人には想像つかないのだろうな。
赤本の中の記述から現場に行って目撃者を探したり。