アラ還世代ならケロヨンと聞くだけで声が聞こえてくると思う。
今日は中央区の聖路加病院に用があったので山手線で有楽町まで向かいタクシーでと計画をしていたら、暑さでタクシー人気のためしばらく待つことに。
有楽町駅前暑い。
日陰がなくて暑かった。
やっときたタクシーの運転手さんに有楽町のタクシー乗車率は高いのかと聞くと今日は珍しいとのこと。
聖路加での用がすみシーボルト像でも鑑賞と思ったけど暑さで挫折。
聖路加から八重洲行きの都バスに乗ろうと思ったらバスが一時間に三本で行ったあと。
晴海でのコミケ時代は会場から八重洲まで歩いたのに今は暑いと思う。
晴海最後の時もデビルマンファンクラブの会長だった友人と歩いたもんなあ。
八重洲駅前で長い行列を見た。
成田行きのバス待ちの人たちだった。
京成がとまっているそうだけど、JRの成田線に乗らないのかな。
八重洲の大丸で猫のお弁当を求めて彷徨う。
やっと見つけて購入。
この猫のお弁当は人間用だけど、売り上げの一部が保護猫に使われるそうだ。
大丸では藤城清治画伯の原画を含む版画展が最終日。
幼少期、ケロヨンという着ぐるみ、かな?が出てくる子ども向けテレビ番組があり私は大好きだった。
そのデザイナーでもある藤城画伯。
日曜日にサイン会があったのも知っていたが、空いてそうな今日鑑賞。
藤城画伯は昭和16年に独立美術協会他の画壇への登竜門にいくつか入選しておられる。
これが少し早ければ若手画家として戦争画を描くために絵道具を持って戦地にやられただろう。
戦時中多くの画家が戦地に向かい戦死している。生き残っても戦争画を描いたと叩かれて絵が描けなくなった人もいる。
藤城画伯は画家ではなかったので昭和19年に海軍予備学生となり、翌年千葉県の海岸線防衛につく。
同世代の海軍予備学生は特攻などで多く戦死している。
無事終戦を迎えて母校に戻り、卒業後に影絵作家として花開く。
この世代は画壇の薄い層になる。
芸大生も美学生も戦死した。そのためこの層が育てるはずの層も薄くなり今の日本洋画界があまり円熟していないような、こう書くと失礼かもしれないが。
絵を描くにも戦争に協力しなければ絵具も手に入らない時代があったとか、表現の自由を歌う人たちのどれほどが知っているのだろうと思ったりな、今日この頃です。