夫の谷中小学校時代からの同窓生の訃報届く。
体育会系でない同志だったとのことで、夫凹んでいる。
義父が義母の実家への土産にしていた酒は上質で、下町の実家はそれを酒屋で安い酒数本に交換していたと聞いている。
夫のうろ覚えでは千厩の酒などで、水仙のラベルのもあったと。
で、水仙のラベルの酒を調べると、岩手県出身の日本画家 佐藤華岳が命名したという「 酔仙」にたどり着いた。
で、世の中狭いというか佐藤華岳は先日お邪魔した渡辺華山の系列の家の弟子だった人。
大正11年の段階では旧谷中清水町、現在の池之端にお住まいだった。
えっと……うちの近所です。
世の中は狭いので、義父と佐野華岳は岩手県の盛岡の殿様の南部様が世話をしていた岩手県出身の芸術家の会、北斗会に属しており、上野松坂屋や盛岡の北斗会の展覧会で共に展示されたはず的な。
『佐藤華岳(1884年~1949年)
佐藤華岳(さとう かがく)は、岩手県出身の南宗画家。別名華岳斎。
華岳斎は本名を啓助といい、岩手県大船渡市盛町の小間物雑貨商、佐藤吉蔵の11子中第5番目で、1884年(明治17年)3月に生まれた。
19歳で上京してからの青壮年期は、帝展入選から皇后宮職員買上、各国駐在日本大使館用制作、大正天皇の御前揮毫、日華親善美術家団一員としての出品等々、陽の当たる画壇の道を歩む。
酒を好み、「酔仙酒造」の「酔仙」名付け親としても有名。
当時は気仙郡に因んで「気仙」の名前であったこの地酒をこよなく愛し「酔うて仙境に入るが如し」と讃え、銘柄を「気仙」から「酔仙」へ改めるよう勧めたことが酒名の由来となっている。
<参考サイト>ー酔仙酒造公式HPー』
佐藤華岳 明治十六年十一月岩手県盛町に生れ、後上京して(下谷区谷中清水町十九在住、渡辺)華石翁に師事して、華椿の一波を学んだ。
協會外諸會に出品して○譽あつたし、昨秋の帝展には『葡萄圖』を出して入選した。
浩湖、華岳、登穀の三君が、同年の生れてあるだけ、それだけ親密である上に、三人組の展覧會をも開催しようとしてある。三君は南宗會の中堅であるため、責任も重大と謂はねばならぬ。君は寫生を主とする者は薄であるから、 古人をも師とすべしと論じてゐる。
君は東北人だけに人物が素朴で随つて君の作品も堅實で、古で崋山派の風がある。
現住所は下谷區谷中清水町一。
(南画史要 (文化叢書 ; 第7編) 梅沢和軒著 出版者/国史講習会 大正11)