熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

カハクとローマのインク壺 空振り

私は科学博物館が大好きで我が子たちも大好きな場所だった。
そのカハクに義父の熊谷登久平が一時期所有していた古代ローマのインク壺があるらしいと知り、問い合わせたが、ないようだ。
調べてもらう為にはこちらが一次資料を揃える必要があり、戦前のことなので我が家にあるのは当時の新聞記事だけなので話にならない。
ただ、私はそのような大切なものが熊谷家で紛失していたなら申し訳なくてたまらないので、一時期でもカハクに入っていたらしいとわかっただけでも良かったと思うしかない。

数年、あちこちで空振りを繰り返してきて、成果と言えるものがないことに疲れてきていたし、登久平の血縁から私がやっていることへの不満も出てきた。
専門外の限界かなと。

数年前に出た「美術の窓」の長谷川利行特集号にあった、長谷川利行の交友関係の記事に熊谷登久平が載ってなかったことや、かなり消えていることへの私なりの異議申し立ては出来たと思う。また義父の宝物が長谷川利行のスケッチブックだった証明も出来たと思う。

あと、義父がたまに訪れていた市川市行徳にある熊谷伊助を勝海舟が偲んだ歌碑に、いつの間にか勝海舟が早世した愛人を偲んだ歌碑との案内板が建っていたことへの訂正も数年かかったけどかなった。

新宿の厚生年金会館にあった義父の代表作品の行方は見つけられなかった。
長谷川利行が義父を描いた絵も見つけられなかった。
霞ヶ関にあったはずの義父の絵は官庁改変の時に行方不明になった。
義父が設計したという東京航空計器の応接間も今はなく写真もない。当初は航空計器の重役だったという資料すら見つからなかったが航空計器秘書室の方が見つけてくださった。

義父が社会運動をやっていたという痕跡は南天堂での個展や、林房雄たちとの交流の微かな情報にあるだろう。

でも、コロナ禍で国会図書館が抽選で利用制限があり、資料があると思われる東北に都民は行けないし調べるのは厳しいなと思う。



f:id:TokuheiKumagai:20200824120900j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120926j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120932j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120825j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120929j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120830j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120903j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200824120935j:plain