熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

エアコンが壊れたかと

昨日は久しぶりに歴史好きな人たちと話せて楽しかった。
古巣の足立区立郷土博物館に自分がアメリカにまで行って調べた成果が今も展示されているのも嬉しい。
私の成果物は足立区立郷土博物館と江戸東京博物館の空襲関係だけだ。既に60年近く生きたのになぁと落ち込むことも多い。

8月に入ってから作業部屋のエアコンの調子が悪く、もしかしたら壊れたのかもしれないと思ってたが、限りなく無職の立場なので夫に対して申し訳なくて言えないでいた。

義母のエアコンを私が壊したのかと泣けた。
買い換えるお金を私は持ってないし、夫が大切にしている義母の思い出の部屋を私の本で埋れさせている罪悪感もあり、成果も出ないし焦りもある。
介護離職をしてその後、謎菌に侵されて二ヶ月入院したり、緊急手術になったり、まともに働けない身体になってしまったのが結構辛い。


エアコンが壊れたことを夫に言えなくて悩んでいるうちに友人は急死するし、店子さんの部屋のエアコンも壊れて、そちらは命に関わるから急いで取り替える必要があるから交換した。

仕事部屋にも西日が当たるから暑くてパソコンを使ってると熱で調子が悪くなるし、私も吐いたりしていたけど、保冷剤を体につけたり工夫をしたがダメで情けなかった。

もう熊谷伊助の石碑の案内板の訂正はかなったし、義父の宝物に関しての記事を美術の窓に書いたし、林房雄と義父の関係も証明できたし、親戚の方からやんわりとストップが入ったのはエアコンが壊れたのと同じ時期だし、義父がもう良いと言っているのかなとも思った。
資料の多くは東北にあり、今は行けない。
気仙沼図書館にあるらしいものも読めない。義父が戦時中に戦争画を描きたくなくて国策会社に入り徴兵逃れ的なことをして、そこで商才を発揮して終戦後も引き留められて重役としても活躍をしたようだ。
それが近江商人の教育を受けて育ったからだと考えていて、そちらの資料も調べていたところだけど、東北にあった資料の多くは滋賀大に今はあるとか、滋賀県にも随分と資料について問い合わせたりだけど、やっぱりコロナで調べに行けない。


で、落ち込んでたので、歴史好きの人たちとの会話がとても楽しかった。

気楽になりたいなと思う。