熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

浅草にて、勝海舟の雑談と埼玉県川口市の話など

浅草の老舗のお茶屋の増田園のご主人と雑談。
私が上京した40年前は冷えた抹茶が飲めるのはここだけだった。
明石は魚棚の商店街にあり、神戸は神戸デパートの地下にあり、大阪京都でも私の行動範囲、美術館と博物館と古本屋がある街にはあった。
東京にはなくてグリーンティの粉も売ってなく、浅草にあると同級生に教えてもらい増田園にて冷たい抹茶ことグリーンティを飲んだ。

増田園はずっと浅草にあり、子どもができてからもグリーンティを飲んだ。
子どもたちは明石の魚棚お茶屋さんのグリーンティも好きだった。
少し甘いグリーンティの粉、アメリカに取材に行った時に好評だったのでB-29の搭乗員たちを浅草案内するときは、ここでソフトクリームや冷たい抹茶を味ってもらった。

そのあと彼らは東京大空襲でここら一帯が焼け野原になったことと、浅草寺の本堂に観音様の御加護を信じて逃げ込んだ人々とともに本堂が、B-29が次々と投下した焼夷弾によって焼け落ちる地獄絵図の説明を私から受け、慰霊碑に連れて行かれた。
私の性格は結構酷いなと当時を思い出すとなんか心が苦い。

今日ご主人と雑談をしていて、増田園は元々川口の鋳物職人の家系と知った。
私が世話になった川口市の歴史資料室がかなり増田家の鋳物について調べているとか。
コロナがおさまったら川口市立図書館で調べてみよう。

増田家は幕末に鉄砲の弾や部品を供給するために商人の街浅草に店を持ったとか。そしてお茶屋になった。
関東大震災東京大空襲で当時の貴重な資料が失われてしまったが、勝海舟とも交流があり、増田家の墓石の文字は勝海舟のものだという。また慶喜公とも交流があったという。
勝家の慶喜公から婿養子が入った家の墓は谷中にあるとお話ししたら、勝海舟夫妻の墓の方しか知らないとのことなので場所をお教えした。

コロナ禍不況の話しもした。
大洪水と関東大震災と空襲を経験した増田園ですら今回は辛いとの話だった。
それでも話をしている間、お茶は売れていくが。

昔、松屋の屋上の観覧車から観る東京が好きだった話しをしたら、松屋の中にキャバレーが入っていた時代もあったとか。

今週閉店する明治40年創業の天ぷら屋さんの話などもして帰宅。

夕食の材料を買いに根津のスーパー赤札堂に行ったらガチャガチャのコーナーにアマビエがいた。
つい購入した。
元の生活に戻れるとは思わないが、平穏な日常は愛おしい。