熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

橋本病でだるい日 熊谷登久平あたりの雑談 池之端画廊企画展

池之端画廊さんの企画展のことを、岩手県の今はなき橋本八百二の盛岡橋本美術館の学芸員だった方に話したら、鈴木千久馬と八百二が友達で、元学芸員さんは鈴木千久馬と久雄さん父子と交流があったとか。久雄さんの息子さんが今の池之端画廊の経営者さんだ。

1930年協会の鈴木千久馬の友人に岩手県出身の橋本八百二がいて、橋本八百二と熊谷登久平は小石川の川端画学校の学友でもあり、それぞれ関東大震災の前に渡仏した学友の海老原喜之助から自画像を渡された。

海老原喜之助は自画像などは関東大震災で焼けたと思っていたから帰国して登久平が守っていたことを喜び、裏に1922と書いたと『日本の自画像 桑原住雄 南北社 1966年』にある。

その自画像は残念ながら登久平の死後行方不明になっている。
もう一枚の橋本八百二が持っていた自画像は、お孫さんによると鹿児島県の美術館に寄贈したという。
その橋本八百二が鈴木千久馬の絵を数点持っていて、その中の大作が岩手県盛岡駅のマリオスに展示されているという。
知っていたら去年盛岡に行った時に観たのに。マリオスの地下でご飯食べたのに。

世の中狭い。

あと、池之端画廊の望月春江さんのアトリエ跡地なんだけど、望月さんは太平洋美術の堀慎二先生と交流してたとか。
堀先生と熊谷登久平も交流していたから、会ったことがあるかもしれない。


ナカムラクニオ氏の
『洋画家の美術史 (光文社新書)』読了。
本屋さんで少し内容を確認してから買うつもりだったが、近所にはなくアマゾンで購入。
薄いので気軽に読めた。
参考資料一覧が欲しかった。


恥ずかしながら長谷川利行熊谷守一さんが友人関係だったと本書で初めて知った。
私は利行は守一さんに対して彼なりに目上の人として接していたのだと思い込んでいた。




【以下アマゾンのサイトからコピペ】
洋画とは鑑賞できる
オムライスだ!

◎内容
日本の近代洋画はオムライスと似ている。
外側は、西洋のオムレツ風。中身は日本的なケチャップご飯だ。
油絵として描かれていても、モチーフは極めて日本風味なのだ。
明治、大正期に西洋から日本に輸入され、独自に進化した「和製洋画」は、
料理でいうと、カツレツ、カレーライス、コロッケ、エビフライ、
あるいはビフテキとも似た「洋食」のような存在だろう。(「はじめに」より)


◎目次

はじめに
近代日本洋画の流れ

第一章 憧れの「舶来絵画」がやってきた
高橋由一――油絵を描いた最初のサムライ
黒田清輝――日本近代洋画界のドン
藤島武二――明治生まれの耽美派グラフィックデザイナー
萬鉄五郎――土着的な野獣派

第二章 成熟する「和製洋画」革命
佐伯祐三――パリを描いた夭折の画家
藤田嗣治――乳白色を愛した鬼才
岸田劉生――孤高のリアリズム作家
坂本繁二郎――優美な馬を描いた画家

第三章 ニッポン独自の「昭和モダン」
梅原龍三郎――ミスター洋画家
長谷川利行――放浪の天才画家
東郷青児――優美なロマンチスト
熊谷守一――画壇の仙人

第四章 進化する「日本的フォーヴィスム
・曽宮一念――空と雲の画家
・鳥海青児――聖なる土壁職人
須田剋太――独学の天才
三岸節子――情熱の女流画家

おわりに
日本近代美術史年表


◎著者プロフィール
ナカムラクニオ

【以上引用終わり】


私の具合が悪いのを心配した娘がキムチ鍋を作ってくれた。


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