熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

役所怖い

 

 

母の在宅介護時代に私仕事がどんどんできなくなり、母の国民年金と高校生だった息子と娘のバイト代では母の医療費も払えなくなってきていた頃、思い詰めて足立区の福祉事務所に行った。

生活保護の申請書をなかなかもらえず何回も通い、いっそ窓から飛び降りようかと思うも、足立区竹ノ塚の福祉事務所の窓には鉄格子。

娘は生活が大変になると夜間の定時制高校に通っていたが、窓口の人に娘のバイトの収入に努力が足りないと言われかなり落ち込んだ。

母は見守らないと、ふらりといなくなるので娘と私で見張をしていた。

福祉事務所に何回も通い、娘も同行してバイトはもう増やさないと話し、やっと申請書がもらえたが、次は弟と愛知県の叔母の家に支援はできないかと問い合わせが行き、弟は怒り心頭で電話をしてきた。叔母はどういうことかと心配してきた。

養育費を払わない元夫にも連絡がいった。彼は新婚さん。

 

母は弟の扶養に入っていたが、金もらったことなんかない。認知症が始まってからはマザコン弟なので母に会いに来なくなっていた。

で、なんだかんだと親族とも色々あったが生活保護対象となった。

 

 

母は婚姻関係で授かった嫡子の弟を溺愛していて、まだらぼけな中、可愛い弟の家に行こうとして迷子になる。

母は徒歩圏の建売の家を弟宅だと思い込み、そこに向かおうとするが、弟の家は徒歩圏ではない。

足らぬ足らぬは工夫(努力)がたらないわけだけど、24時間見守りも楽ではなかった。デイサービスに預けている間に母が汚した大量の洗濯物をして、買い物をして、書評(ノンフィクションがメインだったので)のための資料を読んで!食事の下拵えをして。

 

在宅中はうたた寝したら母がいなくなっていたり。ボケてて普段は外せないチェーンキーを外してしまう。歩くのも難儀で車椅子移動のはずが歩いて行ってしまう。あれは今も不思議だ。

 

そして、そんな母を置いて福祉事務所に行く用事がある。収入申告や医療券の発行などだ。

 

バス2回乗り継ぎの竹ノ塚の事務所まで出向き、待ち、申請して医療券をもらう。毎月の更新と、突然の病気の時に窓口で申請が必要だった。

この医療券は人によっては電話でもらえていて、こっちはママ友に母のことを頼んでもらいに行くのに何故だよと思っていた。(担当がかわってからは電話でも良くなった)

高飛車な女性が担当に受給者の心得を毎回言われた。

あの頃、母の年金と2人の子どものバイト収入、私の原稿料を生活保護費から引き、現金での支給は10,000円なかった。が、医療費と家賃補助で助かっていた。(当時は収入から13000円は自分で使っても良かった。昼食代、学費とアルバム代などでサクっと消える)今は子どものバイト代はもう少し緩く自分用が認められているそうだ。あと、貯金も認められるようになったとか。

尚、高校生の子どもの学費は割り引かれていたが、修学旅行とアルバム代の積立が辛かった。

 

 

役所の窓口から呼び出されて行くのが精神的に普段だった。場合によっては車椅子の母も連れて行く。母は車椅子に縛り付けていた。でないと突然立ち上がる。

 

母が創価学会で熱心な公明党支持者であったのに何故相談しないとと知り合いに言われたけど、私は属していないので相談するという考えがなかった。

また、友人が共産党員でのちに議員になったけど、うん、恥ずかしくて相談できなかった。

 

 

あの期間は役所がとても怖かった。

書類提出がまめにあり、質問されるときに尋問されている気分だった。怖かった。私の仕事が減っていくことへの質問が恥ずかしかった。でも書けなくなっていった。取材が必要ない書評の連載だけが残った。いくつかの筆名を使い分けていた。それらの申告はきちんとした。

一人で役所に行けなくなった。パニック障害を起こすようになった。娘や友人についてきてもらうようになった。

 

 

で、どうしてこんなことをズルズルと書いているかというと役所に今月中に行かなければならない。今までは夫か娘が付き添ってくれたが、今月は予定がうまくつかない。

出かけようとすると急な仕事が入ったりもする。

 

今月が終わってしまう的な。

 

でも受付が怖い、書類を書いて不備があったらどうしよう的な。

 

どうして今も役所が怖いんだろう。 精神安定剤ソラナックスを多めに飲むとなんとかなるけど、自転車には乗れない。往復タクシーを使うよう夫。

ソラナックスなしでチャレンジしたら過呼吸になったりもあり。

薬物依存なんだろうか。

 

病気のいきだとは自覚している。

 

と、ぐだぐだしていたら不整脈と血中酸素が94になりソラナックスを飲んで少し寝た。

気がついた夫がタクシーで役所まで連れて行ってくれて用事はすんだ。あの受付をまつ間の緊張もダメだ。

 

残念ながら、喘息関係の医療費補助の手続きは失効していたのでもう申請できない。

 

 

 

 

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