白日会/篠原薫作、終戦後の団子坂風景
義父たちの画仲間であった篠原薫は谷中清水町在住の富田温一郎に惚れ込み白日会に所属していた。
彼は谷中小学校の道一本挟んで隣に住んでいた。
この作品は機銃掃射の跡残る谷中小学校の屋上から描いたと思われる。
焼け野原となった千駄木の不忍通り沿いには家が建ち始めるが……焼け跡には草が生え始めてもいる。
団子坂には病院が並びまた学校もあり銭湯もあり煙突が多く工場地帯と思われたのではとも言われている。
汐見小学校屋上には防衛のための高射砲があったとも伝わる。
この絵を入手してあちこち訪ね歩いたが、戦後79年の谷根千では。
そして、この絵も茶色い。

以下何回か書いた日記から参考書からの引用を再録。
團子坂の空襲被害図。
この時代の様子は森まゆみさんたちの 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」其の八十 の特集:六十年めにやっと聞けた わが町の空襲である程度は読める。(Amazonでデジタル版が買えます)







『ふるさと千駄木 野口福治 著 出版者野口健治 1981.10』より千駄木 団子坂の空襲関係を抜粋 引用許可をご子息からいただいています。↓
『上千駄木に焼夷弾』
昭和二十年一月、年の開けるのを待っていたかのように、B29の来襲が本格的になり、一月二十八
一日には、わが団子坂上の蓬莱町から上千駄木 延々と五百戸以上が焼失した。
この団子坂上の国宝に等しいあの金色の大観音が焼失、私どもの町の浜田湯、大野屋旅館、専修商業などの大きな建物が焼けている最中に、少し離れた根津神社本殿のから青い炎が出はじめたが、それはどうやら消しとめた。
(このことは「根津神社の由来」の十五貞に詳し)
『団子坂を中心に爆弾の嵐』
三月四日、ものすごいのが私どもの町を襲った。 本郷台も、 神明町から道山の一帯が焼け野原になり、焼け残った団子坂の通りは、中学校、谷中の両小学校と、三軒の公衆浴場があり、その他近い所に十本の実が空高く突き出しているため、工場地帯と思われたのか、団子坂を中心になんと三十発以上もの爆弾が落とされた。中の出来であるから詳しく書いてみる。
三月四日午前八時頃、私どもが町会事務所に待機していると、汐見小学校の屋上の監視所から、
機襲来のサイレンが激しく鳴り響いて来た。 一同は「ソラ来た。 皆さん元気で」 と手を振って飛び出した。 私は二十メートルぐらい行った村田医院の四つ辻に来た、ゴオーと尾を引いて風を切って来爆弾が、すぐ近くで、ドカン・パリパリと炸裂し、地上の物が飛び散る音に、思わず、生まれて初めて路上にハイツクばってしまった。爆音が去ったので、そうっと目を開けて見ると、四、五メートル先の電柱がまた大きく揺れ動いており、爆風の威力を物語っていた。
私は防空指導員としての責任を感じて、目まいや耳鳴りで頭がぐらぐらするのを無理に我慢して、電車通りに出て驚いた。あちこちの路上に顔をすりつけて身動きもしない死人のような人がたくさんいた。この爆弾は大野屋食堂と今の鳥安さん前の軌道に落とされた二百五十キロ級の爆弾で、深さ二メートル、周囲二十メートルぐらいの擂り鉢形の大きな穴があき、この爆風で大野屋食堂は半壊になり、隣の二階にいた子供が裏通りに吹き飛ばされたが、奇跡的に無事であった。
この時、汐見小学校の屋上で高射砲を撃ちまくったが、敵はこの屋上を狙ってだろう、爆弾が校庭内に二発、第八中学との境に一発の計三発が落とされたが、学童はさいわいに塩原に疎開しており、皆無事であった。
だが、今ある横浜テープの裏側では、母親と子供が 生き埋めになり、また秋さんの南横の尾関さんの母と子が、町会事務所の隣でも母親と娘さんが、汐見小学校の表門通りでは二カ所で荒川さんの娘と角田さんの長男が、それぞれ死んだ。
なお、電車通 りの松美屋の裏側にあった大衆浴場の裏口に、朝方だというのに三、四人のお客がこの爆風で吹き飛 ばされたり、今しがた、町会事務所で「元気でな」と別れたばかりの、防空指導員・新井自転車店の 御主人が、藍染川の暗渠道路上で爆死した知らせを受けた。
私どもは飛んでゆき、俺たちもすぐ後か ら行くからと黙祷を捧げた。
このように書いてくると、まだまだ際限がないほどである。
特に悲劇だったのは、林町の西林町会の崖上にあった町会用の大きな防火用貯水池に爆弾が落とさ れた時、この用水が、運悪く、崖下にあった坂下南部町会の防空壕内にドッと浸入したため、退避し ていた四十名ぐらいの人が逃げ場を失い、壕内で全員圧死されたという出来ごともあった。なお、爆 弾のために大きな夜具が電車の架線の上に載っていたり、庭石が屋根を突き破って座敷の中に落ちて 来たなどの被害は至る所にあった。
この二日後の六日午後一時に、汐見小学校の校庭で、近隣の町会が合同して、丁重に仮葬儀を行い、 心から御冥福をお祈りした。
-147-
東庄町に飛燕の小林照彦さんに墜落されたB-29の記事が出ている。
『「戦争に勝者も敗者もない」 千葉で墜落したB29機長が残した言葉(毎日新聞)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/5451eaed932584c5e6c68046f085affd17487e82』

↓右から2人目が私。
ゴールドワジーさんと私の間の方が墜落地で捕えられた彼を虐待してはいけないと助言した方。
ゴールドワジーさんの左隣が捕獲した人。その隣が長澤のりさん。
彼女がハワイでゴールドワジーさんと出会い、私に墜落地点と戦闘機のパイロットを探すことを依頼された。




