熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

めも 老いるということ。

6時すぎ、胸痛で目覚め。

 

24日から体調が悪く、ゼリー飲料と水道水に昨日は医者に勧められてスポーツドリンクを飲んだ。

ふと梅干しがたべたくなり台所の冷蔵庫を開けたらそのまま仰向けに倒れた。

夫は仕事に出ており誰もおらず、動けず、起き上がれず、エアコンの効いてない西日の当たる部屋で転がっていた。

数年前に独居の友人が家で転び救急車を呼んだが鍵がかかつており、それは警察の領分で警察が来て鍵を開けて彼の元に救助が届いた時には手遅れだった。

 

私がまだ若かった頃は近所にママ友かいて、お互いに体調を崩した時は料理などを手伝い買い物もお互い様だった。

また、私の母も元気で助けてくれた。

ママ友達もいざとなったらご母堂を呼んでいた。

 

私が介護離職と貧困に入った時にもママ友達に随分と助けられた。

あれは30年近く住んでいた地縁と友情のおかげだったなと。

また農業をやっていた明智抄さんが里芋やカボチャなどもちの良い野菜と米を送ってくれて、レンジで簡単に食べれるレシピもくれた。

仙台のテツはササニシキを送ってくれた。

あの頃皆若かった。

明智は死んでしまい、テツも喘息が悪化した。親の介護が終わった途端弱ってしまった。

 

暑い台所でこけて動けなくなっていて、気持ち悪くて吐いて。吐いたものを拭く手段もなかった。

窓からは青空が見えてた。

歳だなあと思った。

 

団地時代は具合が悪くなっていた時にベランダに植えていた花の様子で気がついてくれたママ友もいたなと。

夜になると子どもが帰ってくるし。孤独死の心配はなかったな。

我が子らは母の介護慣れをしていたから熱中症の介護慣れをしていたっけ。我が子にはヤングケアラーをさせて気の毒なことをした。

 

 

20分ほど転がったあとなんとか起きれて部屋に帰ってソラナックスを飲んで寝た。

 

老いとは体力消耗だけでなく、たよりになっていな優しき縁も減っていくことだなと寂しく思った。明智抄さんは納屋で1人で死んだんだなぁ。

後藤さんは救急車を呼んだのに鍵がかかっていたから警察などの手続きがモタモタしている間に死んでしまった。

還暦の寂しさよ。

 

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某日、浅草で熱中症になりフラフラだったのでラインで処方箋を受け付ける千駄木のローソンの薬局にお願いした。

事前に私は薬の管理ができないので今までの薬局では日時ごとに個別梱包をお願いしてる話はしてあり、できるとのことだった。

 

で、受け取った薬は巻き物のような朝夜寝ごとのもので、これでは私は管理する自信がないと泣きついたが、そのまま持ち帰ることになった。

その管理ができるなら私は既に健康だわさ。

お薬手帳も預けたのに、なぜこんな梱包にされたのか。薬剤師不機嫌になって怖かった。

 

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