熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

「パフ」(原題: Puff, the Magic Dragon) 明智抄さんが亡くなってもうすぐ5年

数日微熱が続き最低限の家事はできるけど買い物には行けない。インフルとコロナ陰性なので自律神経の乱れだろうな。

池袋モンパルナスの会会員展、11月に開催される。義父の作品と長谷川利行のスケッチブックの複製と池袋モンパルナス在住だった画家の作品を貸し出す予定。

 

今日はまだ動けるので期日前投票に行った。

 

 

『昔、ある片田舎で少年が孤独な竜(か恐竜)と仲良くなって交流が続いていたけど、青年になったある時から彼は来なくなったという歌があった記憶なのだけど。
曲は浮かぶけど歌詞と題名が浮かばない。

灯台を見るとブラットベリの霧笛を連想してあの歌を思い出すことがあるけど。
脳内流行歌だろうか?』

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と、Xで呟いたら即「パフ」(原題: Puff, the Magic Dragon)だと教えていただけた。

昔調査員をしてた足立区立郷土博物館にいた非常勤学芸員の森さんの持ち歌で、彼は原曲を歌ってたなと、若くしてドクターとなった優秀な方だったけど今は何をしておられるのかな。

幼少期の河原明子と経産婦な仲村明子時代の思い出だ。

そういえば河原明子の頃に明智抄さんと出会い、彼女のデビュー作の主人公の名前は河原明子だったなと。

河原明子は名を変え姿を変えて彼女の作品に出ていたなぁ。オカルトなのが多かったが。

 


30代の頃、明智抄さんの実家に泊まり明智抄さんの美味しい沢庵を漬けるお祖母様とお祖父様の墓参りをした時盆灯籠の話しをしてくれた。エヴァンゲリオンブームの頃で道原かつみさん宅にも一緒に行った。

15の時に道原さんの投稿ハガキを月刊アウトで見て印象に残り、その印象を背負った人が明石市の画材店にいたので声をかけたら道原さんであっていた。初夏だったと思う。あの頃の私はオカルト少女で非常識な出会いに慣れていた。

道原さんは驚かれたそうだ。そりゃ唐突にアウトにハガキ出していた方ですよねと言われたら驚くよな。怖がらずにいてくださったこと感謝してる。

その後大久保にあった西友で開かれるささきいさおショーにお誘いして、同行してきたのが明智抄さんだった。

明智さんは道原さんといるとキラキラしていた。それはずっと続きSF大会でも道原さんの自宅でもキラキラしてた。

 

初めてご実家に遊びに行った時、私16歳。
盆灯籠の季節に遊びにおいでと言ってたのに、螢の季節も行かずじまいだ。
彼女は60歳で死んでしまった。生きてれば2月に65歳だ。まだ国民年金保険料の支払い義務が緩かった頃、私に国民年金の大切さを説いた彼女は年金の恩恵を受けず。

長生きしてほしかった。

喧嘩していた時期に死んでしまった。夢に出てきた時に電話をすれば良かった。

以前は夢に出てきたりしたら電話した。

そしたら大抵問題があった。

あの時期、私は明智さんは道原さんと結婚するべきだったと癇癪を起こしてた。

私は彼女の配偶者とは互いにそりが合わなかった。

あの時何故彼女に電話をしなかったのだろうと私はずっと後悔していくだろう。何回も夢に出たのに。我が家に滞在する時に使う電気ポットも突然落ちたり。

 

誕生日と命日には彼女が好きだったお菓子を送る。私に健康寿命をといた彼女、散歩と糖質制限をして頑張っていたのに死んでしまった。

そのとき彼女のために常に整備していた電動自転車が壊れた。気に入ってたから持っていったのかなと。

 

 

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