コロナ禍が落ち着いたら我が家の裏の東京大空襲慰霊碑や谷根千のある慰霊碑も含めて散策したいとおっしゃっておられたけど、日課だった散歩を中止した為か弱って老衰で亡くなられた。
先生は私が先生と呼ぶのを苦笑して諦めていた。
谷中に住みたかった先生。
私が谷中に嫁いだと報告をしたらとても驚かれて、谷中銀座の豆腐屋さんたちと随分と谷中を歩いたと話してくださった。
その豆腐屋さんも今はない。
当時早乙女先生と交流があった谷中の人でご存命なのは元共産党台東区議の茂木さんだけだ。
茂木さんの前任者の共産党区議は沼田潔さんで、画家だったそうだ。台東区長だった内山さんと台東区の画家たちの展覧会などを企画したとか、その中でリーダー的な役割を果たしたのが熊谷登久平の戦前からの画仲間だった徳山さんだ。
戦前は義父が住んでいた初音町の近所の天王寺町にアトリエを持っておられたが、空襲で長谷川利行が描いたお母様の肖像画と共にアトリエ兼自宅は焼けたと聞く。
縁は不思議だ。
先生には絵のコレクションもあり結構厳しいこともおっしゃるから私は地図以外の絵をお見せしたことがない。
↓写真はふらりと先生がお好きな日暮里駅近くのサンゴダールのシベリアなどをお届けした時のもの。
サンゴタールの近所の谷中の枝垂れ桜が見事なお寺のお墓に先生は入る。