熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

恐怖のブラックリスト に入ってなかった。

今回の鬱は複合的な因子が絡み合ってて自分でも面倒だ。夫は大変だと思う。

 

その中の一つ、銀行にアパート修繕の融資を断られた件。

それでも修繕しないと2階の床が抜ける可能性があり、他の住人さんの命にもかかわるから放置はできないと、夫が手持ち範囲で工務店にお願いした。

工務店さんも長い付き合いがあるので随分と便宜をはかつてくださりなんとかなった。床、本当に危ない状態だった。

床を開けた時、ゾッとした。義母が一番良い畳を入れていたから助かった所まであった。

2トン車いっぱいの残地物をよく支えてくれた。関東大震災を経験した義母が耐震にこだわり、建築士が驚くほどの柱を入れていたのと良い畳を使用していたのが幸いだった。

 

 

修繕してくださった工務店には夫の幼馴染も属していて、工務店家族も顔見知り、親密な地域社会に救われた感じだ。

 

修繕費の緊急融資を銀行が断るときに「どこの銀行も熊谷さんには貸さない」と言った。

私たちが知らない間に熊谷家はブラックリストに載ったのか、それとも婚前の私が母の在宅介護で貧困に落ちて生活費の一部を生活保護に頼ったのがバレ、そんな女を嫁にしたので銀行の信用が落ちたのか、碌な収入がない家事手伝い女を家に入れたからかなど、私はぐるぐるし始めて沼にハマった。

銀行の担当さんからはアパートと敷地を母屋ごと売るように助言もされ、その時にうちの立地条件の悪さを並べられそれもショックだった。

古かろうが二方が墓だろうが、私は今の空が広い窓からの眺めが好きだ。

義父が実家に頼み込んで援助をもらって買った屋敷。

そこに病床の親友を引き取るために洋式トイレと広めの浴室を加えた日当たりの良い屋敷があった場所。

義父の疎開後も家に留まり守った衣子さん。

その屋敷は今はないけど解体した時の建材を一部使用した今の家とアパート。

せめて私たちの代では守りたい。

スマートな思考ではないけどね。

 

銀行の人に助言されたとき、父の会社が厳しくなった時、銀行の貸し剥がしを経験しているので、またアレが始まるのかと怯えてしまった。

夫に「ブラックリストに載ったのかしら」とは言えず、ずっと悶々として先週やっと夫にそれを言った。

不安で不安で仕方がなかった。

ゴールデンウィーク明けの昨日、リストに載ってないと連絡があり、私は全身の力が抜けて動けなくなった。トイレに行くのがやっとだった。

異常に緊張をしていたのだろう。

 

知人から若いときにブラックリストに載ったことがあると聞いた。

解除されるまで10年かかったそうだ。

人にカードをつくられていたとかの話しとか、怖っ。

 

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身内の入院、長期化しそう。

私の寿命全部あげたい。

 

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