熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

アパートの空き部屋 無縁の人

以前も書いたが、

うちの賃貸物件の二階に住んでいた独居老人が認知症となり家賃更新料などの滞納が積もり、電気代滞納により電気が止められ、使い捨て懐炉の差し入れと(生活保護)福祉事務所への連絡も入れていたが救急搬送となり入院。

頼まれて必要なものを取りに部屋に入るとゴミの蓄積、およびトイレ付きの部屋なのに、トイレ以外での脱糞なと。

そのため異常な湿気が溜まった場所があり、二階ではありえない腐敗とシロアリの侵入を許していた。歩くと踏み抜く可能性のある場所まである。

借主に福祉事務所経由で許可を得て近所の工務店に部屋の状態を確認してもらったところ、大切な梁をシロアリが食い散らかしていて、急いで修理をしないと一階の住人が危険となった。

見積もりは七百万から一千万円、税別。

私たちは数年前に最後のリフォームとしてアパートの一階の共同トイレを和式から洋式に。

近所の黒湯温泉の銭湯「六龍鉱泉」の閉業によって徒歩圏内の銭湯が「朝日湯」だけになった危機感からシャワールームを敷地内に建造し、屋根と壁の塗り替え、各部屋の補強などを一千万円以上かけてやっていた。

部屋をダメにした独居老人は地域包括支援センターと福祉事務所が施設を斡旋することになった。残留物に気が遠くなりそうになりながら、私は夫に「もう使える現金は底が見えているし、最低限の修繕で良いのでは、きちんと修繕して人に貸すより空き部屋で放置しておいた方が経済的には良いのでは」と言った。

また付き合いのある地元銀行の担当は「駅から10分も歩く利便性が悪い築古のアパートは資産価値がない。今のうちに売却して郊外で生活をした方が良い。リフォーム費用は貸せない。他の銀行も熊谷家には貸さない」と結構厳しく母屋ごとの売却を勧めてきた。

 

えっ、他の銀行も貸さないって断言されたけど、うちブラックなの?

 

実父がやっていた町工場が傾いて銀行の貸し剥がしと追い込まれた父がサラ金に手を出して、私が住み込みで働いていた新聞販売店にまて取立てがきたのが結構トラウマになっているので、私は銀行の貸しはがしが怖い。

奨学金が父の返済に消えて、ついでに両親の滞納していた年金の請求まで10代の私に明石市から郵送されてきたわよ。

 

 

熊谷家、なにをやってブラックになったの怖いわ勝手に名義使われたのかも、地面師入って勝手に抵当権でもつけられてるのかと、「なぜそんなに信用がないのですか」と、その銀行のサイトから問い合わせちゃったよ。

(ブラックではなかったです。)

 

我が家はブラックではなかったけど、担当者が修繕するより売る方が子孫のためという悲しき負動産。

山手線の内側の私有地に住んでいても、間口が2.5メートルほどの旗竿地で、尚且つ二方面が墓地。両隣が法人で塀があるのもマイナス要因だと買い取ると飛び込んできた不動産屋さんが言っていた。

(建築基準法の「幅員が4m以上ある道路に、敷地の間口が2m以上接していなければならない」という接道義務は満たしていて、再建築は可能なのに、旗竿地、墓地隣接だから今売らないと誰も買わないと)

 

堀が汚いからマイナス要因と言ったのは銀行の担当。それは建てた日本美術院に言ってほしい。

 

負動産と言われても、夫には大切な家。

元は義父たちが長谷川利行たち画仲間と住みたくて欲しくてたまらなかった東京芸大(美學)の歴代学長の屋敷。

義父が亡くなったあと銅ぶき屋根屋敷の維持は難しいので建て替えたのが今の家。

義父と義母が戦前から無担保できたのを誇りにしていた土地。

からしたら生まれ育った場所。

愛着があり、登久平の子である自分が生きてる間は守りたいと言う。

維持するより売る方が楽なのはわかってるとも言う。

夫、何かあった時のための定期預金を解約して危なくなっていた部屋の改修を済ませた。

義母が良い畳を入れていたから住人は落ちずに済んだと工務店の社長。

 

 

浅草で生まれてすぐに関東大震災に遭遇し、深川の低所得向け被災者住宅で育ち、その後苦労してやっと得た実家は東京大空襲で失われ、自分は北京からやっとの思いで引き揚げてきた義母は、アパートを敷地に建てる時に「身寄りのない人にも住んでもらいたい」との方針でやってきた。

 

夫もその方針でやってきたが、滞納、夜逃げ、滞納、突然死などがこの数年間に重なり、保証人なしは限界だと認識した。

これからは家賃保証会社を挟むことにし、先日契約をした。

 

契約時に受けた説明で、無縁な人が増えたので引き取り手のない遺骨を納める共同墓地も会社で持っているとのこと。

既に百人がそこに眠るそうだ。

 

戦後、核家族を基本とした社会構造が80年近く続いているが、その家族という単位から外れた人の老後と死後に対しての受け皿はあまりない。

唐突だが世の中、情報弱者にはどんどん厳しくなってきている気がする。

 

昨日読んだ「お金がなく火葬できず」のニュース。

62歳の男性が在宅介護をしていた95歳の父親が亡くなり、医師に死亡診断書は書いてもらうも、その後の費用がなくて遺体を放置したという。

 

在宅介護時代の私は疑心暗鬼で縁が減った。自分も信じられなくなっていた。
母の死亡時「葬祭扶助」を利用し一番安い火葬にした。

それは娘の同級生の親、ママ友が教えてくれたからできた。母のお別れ会的なものもママ友たちが企画してくれて、母の友人も来てくれた。

住んでいた団地の集会所を使ったのでお金がかからなかった。香典も頂いたが全て母の嫡子に渡した。

 

あの時、介護離職、介護離婚を重ねて介護鬱にもなり判断力が低下していた。

我が子と地縁がなければ私はどうできたろう。

母の嫡子からはきちんと介護をしてなかったと責められて、納骨への立会も許されなかった。

今なら言い返せるだろうが、24時間介護が何年も続くと判断力はなくなる。あの時、私は正気ではなかったと言える。後悔に押しつぶされて後追いしか考えられなかった。

 

遺体を半年放置したと罪に問われる62歳の男性。

縁があれば民生委員さんや福祉事務所などに繋がり、何らかの方法に辿り着けたろうにと。

 

 

『95歳父親の遺体、自宅ベッドに半年放置 容疑の62歳「お金なく火葬できず」(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2F5d5077dacf24567932fdb81ec4c56054fd705655&preview=auto

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