熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メンタリスト

あの生活保護者やホームレスは死ぬべき的な発言を見てしまい落ち込んでいる。匿名の賛同者が多い。

 

恥ずかしながら私は今夫に拾われたので、生きていられる。

今夫と結婚前提の付き合いを始めて即緊急手術や、次は敗血症と言われて入院したらタチの悪い菌に侵されていて危篤もありの50日の入院もやった。

 

脆弱者の私は夫と付き合って無ければ死んでいた。

 

私は今も衣食住と医療を夫に与えられている。去年も救急搬送された。差額ベッド代とか大変だった。救急搬送されてまで金使わせてまでして生きたくなかった。私以上に高度治療室を使う価値のある人は沢山いるのに申し訳なく今も感じている。

 

10年以上前に認知症で徘徊してしまうようになった母の24時間介護を思春期だった娘とやっていた。あの頃も私は倒れた。

母宅が年収次第で安くなる低所得者向け住宅だった都営住宅だったので私たちに家があったわけで、母の七万円の年金と高校生の息子と娘のバイド代と私の僅かな原稿料では民間の賃貸住宅の家賃は払えなかった。

 

今も僅かな原稿料はあるが、私はほぼ無職であり、夫の家に住まわせてもらっている。

前は月30,000円を気持ちとして入れていたが、ここ2年は金を入れていない。

再婚時に夫の後輩からは白蟻母娘と言われた私と娘だ。夫の後輩は子どもを作る気がないなら同世代の正社員の女性が良いと言っていた。

 

で今は夫方に私が迷惑をかけていると言う人もいて、夫への恩返しのつもりの熊谷登久平関係が夫の立場を悪くしている部分もあり、何をやっても私は熊谷家の白蟻という気持ちだ。

つか何をやれば角が立たなかったのか思い浮かばず、情けない。

 

母の介護中はボケていても母は母なので殺せず、放置すれば死んだろうけど、徘徊したら探した。

あの期間の私たちは人の金で生きていた。

今は夫の金で生きている。

 

このブログも夫の金で豪遊しているとの批判がある。

 

母の介護をしていた頃、ほぼ無職となり、高校生の我が子たちにバイトをさせてバイト先から廃棄になる食べ物を持ち帰ってもらい、それを食べさせていた。

母に金がかかる時も結構あり古本屋で本を売ったが、足りない時は本当に足りなかった。

 

福祉事務所に相談に行ったが申請書をなかなかもらえず、何回も通った。

貰えたら親戚に連絡が行き、弟からは怒鳴られた。でも助けてはくれない。

福祉を受けたのは母の医療費が辛くて、生活費はしまつすれば母の年金と子どもたちのバイト代でなんとかなっていたけど、申し訳なくて子どもたちを解放したくて母を殺して自分も死のうかと随分と何回も悩んだ。が、先にも書いたがボケても母は母なので殺せなかった。

母が死んだ後に何故追わなかったのだろう。

 

メンタリストの人のような考えの人は沢山いるだろう。

今はコロナ禍もあり、不満は溜まっているだろう。

私のような生活力がない持病持ちが、毎日摂取しているチラージンと喘息の薬がなければ死ぬようなものも彼らには不要な存在だろう。

たしかに私も私より猫の方が好きだ。

かと言って、ホームレスの人や生活保護の人の方が生きる価値がないとは思わない。

メンタリストの人に賛同する人が少なからずいて、多くの人があの後ろにいるのだろうと思う。

が、自分の親が倒れた時に見捨てられるのだろうか。メンタリストの人は富裕層だから大丈夫なのだろう。

 

 

で、私が要らないのは利用価値のない私が欲しい成果を出せない生産性のない私だけだ。

母の介護をしていた時に、母が死んだら追うつもりだったのが、生きてしまい申し訳ない気持ちが今湧き上がってきて辛い。

 

怒鳴られたり脅迫状がきたり注意されたり、まぁ、私の存在が思考が許せない人は昔からいたので、仕方ないなと感じてもいる。

小学中学生時代はあの本家分家のぐちゃぐちゃした村で文字通り石を投げられいたし、けど慣れることが出来ず、私立の女子校に逃げて、その後は東京に逃げたけど、性格の問題なのか良い人になれなくて今もしんどい。

 

 

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa7ae990ca3d7d4d7b5052b0db48fbf033c3caca

 

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