シーパックと口を塞いでいたテープは無意識に外してしまっていたが寝たって感覚の朝だ。ただし胸痛はある。
昨日夫と息子と義父の熊谷登久平の遺品について今後の話になった。私と夫には良い勉強になった。
私は夫に幻滅されるのが怖かった。
息子からもいい年して根回しが下手と言われてしまい。立ち上がれない。
独立の資料は全部初期創立会員の遺族が持っているそうだ。
美術の学芸員資格持ちに在野だ論外とまで言われた登久平の独立美術関連資料は私には良いものだ。
昨日は燃えるゴミの日だった。
熊谷登久平のスクラップのコピーは岩手県立美術館にあるのだから、そのうち生きるかも。
国立の美術学校を出て、コネも沢山あり国家資格を持っている人が、オーラルヒストリーでコツコツやっている遺族を何も知らないと弄るのは楽しいのだろうか。
遺族としては今時の言葉で言うならエビデンス、根拠で反論するしかないけれど、今時は根拠での反論はパワハラになる。エビデンスで殴るってことになる。
自信に満ちた人に言いたい放題されながら感謝しないと良い遺族になれないようだが、あれは私からしたら失礼だ。
熊谷登久平が下手でデッサン力がないからフオーブに逃げたというの、私には納得できない。
去年夫に90回を企画している独立美術協会の関係者が独立賞をとってない熊谷登久平は選外って藝大おじさんに言ったそうだと夫に伝えた。
でも夫は我が家が独立創立メンバーの溜まり場であった頃の記憶があるために、まさか的な気持ちだったようだ。甘いよ夫。
でも客観的に見て登久平は選外だつたんだろうな。
都立美術館で開催の頃は人吉とかからの方も線香あげに来てくださる方も何人もいたのにと夫はがっかりしている。屋敷時代は酔ったまま泊まった方もいるのだとか。
もう誰も義父を知る独立会員はほぼいないからね。
画家としての最前線の熊谷登久平を覚えてくださっていたのは入江一子先生が最後だったのよ。
遊びにいらしていた林さんも島村さんも海老原さんも宮崎さんも東北や北海道の画家たちも亡くなられたのよ。
で、夫も、現実を昨日で受け入れた。
期待させて申し訳ない。
私たちが元あった野球場のお別れ試合で独立美術が林武がユニホームを作って配った時の写真を喜んでても、うちのは白黒やセピア、しかも今人気の独立の画家が写ってないのよ。
去年指摘されたって伝えたじゃん夫。
他の公募団体では今も熊谷登久平のアルバムや資料に意義を持ってくださっている場合もあり、問い合わせはある。
それがいつまで続くかわからないけど、独立に拘ってしまった義父と、義父の死語やはり独立の松島正幸先生から絵の指導を受けていた夫。
でもね、松島先生の美術館すら今は閑古鳥よ。
義兄がやろうとしていた義父の資料を元にした年表と雑記的な熊谷登久平の自費出版。
生誕130年で締めにしようと、数年内に出す予定でフリーの編集仲間に声をかけていた。
地方の図書館や教育委員会にも問い合わせながら取材を重ねたが、その自費出版の金が今はない。アパートの緊急修繕に消えた。
アパートの修理に夫の貯金と車を買う予定だった金を使い、義父の本も出せなくなった。
夫が私と初婚しようとした時に夫の後輩が酔った勢いで、フリーターではなく、きちんとした嫁をもらうべきだとシロアリ女だと言っていたけと、大当たり。
熊谷登久平が推しなのに。
熊谷家の親戚を名乗る人から夫に直系がいないのだから熊谷家のものは本家に返すのがスジだと言われたが、家売って、熊谷登久平の遺品に持参金つけて送れと。それ税理士と調べたら贈与税で私たちホームレスになる的な。
慎ましく生きて、熊谷本家に金返せとの長いコメントもきたよね。
おかゆと豆腐と塩とその辺の草で生活しろってか。
ここ数年のヒマラヤ杉が折れるような台風の時のアパートの屋根などの修繕、外で亡くなっていた店子の荒れた部屋の改装、近隣の温泉銭湯廃業に伴うシャワールーム建設、ついでにある程度の補強工事。これでアパートのメンテナンスはしばらくないと思っていたのになぁ。
損保ジャパンに入っていた人と夫との交通事故で一円ももらえなかった十割負担の医療費と休業保証。
今年に入ってからは家賃滞納していた認知症男性によるアパートの一番良い部屋での糞尿垂れ流しによる床の大穴。六畳四畳半三畳の台所とトイレのスカイツリーが見える風通しの良い部屋。
ここは床板の張り替えが必要な状態となり大切な柱や梁までやられていたので見積もりが700万円から1000万円プラス消費税。
私が面接をした入居女性の悪質な家賃滞納と夜逃げ。
冗談のように重なり、近所の信用金庫に融資の相談をしたら熊谷さんの土地は場所が悪い、高台は駅から10分も坂を上がる。
バス便も少なく、交通の利便性がよくない。
旗竿地、塀が汚い、そのアパートでは直しても人は入らないし採算が取れない。百坪ない中途半端な土地は母屋ごと売った方が良い。今なら売れる。これから売れなくなる。などを並べられて。
うち、無担保ですよね。何故担保にしてない銀行がうちの土地の価値がよくない売るべきと言うのか理解できなかった。
トドメに「どこの銀行も熊谷さんには貸さない」これにはびっくりした、前にも書いたけど知らないうちにうちの土地担保にされているの?
銀行の怖さは父が経営していた小さな町工場が危なくなった時に経験してる。
銀行が真っ先にくる。娘(私)の奨学金も持っていく。東京の新聞販売店に住み込みで学校に行ってても取り立てがくる。
ベタベタ貼られた赤紙、私の油絵の道具にも貼られた。あれをこの歳で経験するなら死んだ方がマシだ。
熊谷登久平がここは岡倉天心が住んでいたと言い残していたから、登記簿を明治から調べたけど、確かに官有地から美學の学長に払い下げられた土地で、再興日本美術院を作る時の地歴まで残っていたけど、数年前の段階ではうちはどこにも担保に出してない。義母の誇りはここを担保にしたことがないだった。
なのにどこの銀行も熊谷家には融資をしないって、銀行の管理職が言った。
与信がないってことは我が家はブラックに載てるの?
思わず銀行の本社に問い合わせメールを送ったわ。ブラックではないと返事が来たわ。ホッとしたわ。
でも、そんなに我が家は与信がないんだ。自転車操業だもんね。
夫はそこに残っていた定期預金を解約して、その時も窓口が担当に連絡をし確認をして、どうぞどうぞ解約してください的な。
それでなんとかキャッシュで今も住んでいる店子さんの安全を守るための修繕をした。あのまま放置したらアパートが崩れていた。
最近、近所の高齢者が次々と家を手放しているが、修繕費の問題、年金生活者には辛い固定資産税など維持するのは楽じゃなくなってきた。地元銀行も地上げやみたいなもんだ。
義父の本を出す為の貯金も使って修繕をした部屋には新しい人が入ってくださりホッとしている。
直して安い家賃にしても誰も入らないっていた銀行の担当。場所が悪いんですよね。安い家賃でも入らないと言っていたど。
ずっと場所が悪いと思いながら銀行は付き合っていたんだろうな。
夫は長年の付き合いがあるからと、頼まれて始めた投資も半分まで溶かされてるのに、2回の相続税で貯金が減って台風後の修繕で金借りてからカレンダーも届かなくなった銀行なのに。
嫁いで来た時に口座を開いてほしいと言ってきたけど、その時の口約束の旅行や食事会などの案内が全然ないじゃん。松坂屋の割引サービスもないじゃん。
家を売れだけが熱心な銀行だよね。
本屋の近所なので本屋に行くのすら辛い。
今日は死にたくて仕方ない。死にたいと言っても死んだことがないので、危篤になっても病院は生きて退院してきたので、私は死ににくいのだと思う。
ソラナックスとかを飲んで寝よう。明日は元気だと良いな。