昨日、腰に力が入らず、歩くには痛すぎたが、今朝激痛と共に血尿が出た。
それまで、動くと激痛だったのが今は単なる腰痛になっている。
腎臓に残っている結石が移動していたんだな的な。
本日の心臓系の医療費2万円ほど。
処方されている薬が高い。
けど、効く。
喘息の薬と橋本病の薬はそれほど高くない。
この二つを残して他をやめたい。橋本病は油断すると日常生活が送れなくなり自分の身の回りのことすらできなくなる。記憶障害も大変だった。
あの状態は嫌だ的な。
5月が終われば公式な予定がなくなるので薬を減らしても良いのではないかなと。
今、高齢者の医療費が次世代を苦しめているという報道が増えている。私だって孫が苦しむのは嫌だ。なのでもうやめたい。
(著作権の)保護期間 - 文化庁 https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93736501_08.pdf
「具体的には、昭和 43 年(1968 年)に亡くなった方の著作物の保護期間(原則)は平 成 30(2018)年 12 月 31 日まででしたが、平成 30(2018)年 12 月 30 日付けで著作者の 死後 50 年から 70 年に延長されることになり、20 年長く著作物が保護されることとなりま した。」
何回も書いているけど、義父の熊谷登久平の著作権はギリギリこれに該当してしまい、死後70年著作権が続くことになった。
今は著作権者と連絡なしに図録などに作品を掲載したりするのに面倒な場合もあり、その手間を惜しまれて忘れられていく著作物が著作権死後50年の時代にもあった。それが70年に延びた。
私としては熊谷登久平の名と作品が埋もれるのは愉快ではない。
前年度の美術関係のデータブックに熊谷登久平の遺族の連絡先を載せることにしたのは、その対策も兼ねている。
死後50年の間、熊谷登久平の絵と文で使用料が払われることもありはしたが、学術的な慣例とやらで払われず遺族に連絡もなく使われることもあった。主に長谷川利行関係。
なので訂正できると思われることは連絡をするようにはしている。
そして、熊谷登久平の次男である熊谷寿郎が義父の著作権を相続し持っていることを理解できない登久平の親戚がいる。
正義感からの苦言がくると疲れる。
そういえば、長谷川利行関係で義父が書いた「長谷川利行と私」の文章の切り取りが使われて、それに対して加筆されていたりもするので戸惑うこともある。
(うちに連絡を一言くれたら資料提供したのに。)
比較的手に入りやすい、矢野文夫氏が一言入れた「長谷川利行と私」がこれからも参考にされていくのだろうなと残念に思っている。
長谷川利行の贋作問題、義父が「長谷川利行と私」以外で書き残しているが、その随筆を参照としたものは私が確認したなかにはない。
長谷川利行の贋作は今も出回っている。それに義父の名が使われている場合もある。
残念だ。
しつこいが、去年の今頃、アパートの問題で解決するには母屋とアパートを敷地ごと売るべきと銀行の担当から勧められて、その英断ができず、貯金をはたいた。
その時に熊谷登久平関係は独立美術協会90周年と白日会100周年を区切りとして一旦終わりにしようと夫と決めた。生誕記念行事を岩手県一関市千厩の義父の甥たちが東日本大震災前までやってくれていて、夫と生誕120年展がやれたらと話して、東京と岩手県一関市千厩でかなった。
生誕130年までに書籍をと願っていたが、カラー写真を多く使うので業者を入れるものは予算的に無理になった。
ならば同人誌印刷のオンデマンド入稿にすれば写真の発色はきついけど国会図書館に納めて残せる、なんとかなると話していたけど、給湯器が壊れ、アパートのエアコンが酷暑の影響でなのか次々壊れたり。
ので、採算取れない同人誌頒布計画もやめよう的な。
義父の本を2冊も出してくれた本家はよくやってくれたと思う。
台東区が自転車用のヘルメットの助成金を出していて、割引券の申請締切が今月いっぱい。
これはお客さんには得な助成金なので、今は駆け込み需要の店もあるそうだ。うちも対象店舗だが、制度が面倒。
一つあたりの利益は変わらない。薄利多売でないと区役所にいって手続きしたりする店舗側は労力に見合わないと参加しないケースもある。
それでも多くの人が申請して今台東区は大変みたい。で、本日電話が区役所からありゲゲって感じで夫が嘆く。我が家への支払いは予定より先になった。
延びるなら先に言って欲しいし、問屋さんからの請求はかさんでいて支払い期限は待ったなし。
我が家は自転車操業なので倒れてしまうわ。
https://www.city.taito.lg.jp/kenchiku/kotsu/kotsuanzen/helmetjyosei.html