『まずは谷中の図書館に行って、関連書や郷土資料を何年か読んだら、よっぽどわかることがあると思いますよ。しかも、例えば岡倉天心でいえば、日本美術院や五浦美術館の見解を確認できますよね。
多分、そういう地道勉強系は嫌いなんですよね』
私が日本美術院や五浦美術館で調べてないと何故思うのだろう。
五浦美術館とも情報交換は重ねてる。
日本美術院は隣だよ。
谷中の図書館の谷中の資料はかなり読んでる。谷中の図書館にある近現代の資料が何年もかけて読むほどあるのは恥ずかしながら知らなかった。
かっぱ橋の図書館にも資料室にも行っている。
都立図書館も通ってる。
トーハクや文化財研究所の資料室も行って乱読できたコロナ禍前はしてる。
図書館や近現代の資料室はあちこち行ってる。
コロナ禍になり予約や抽選式なって時間制限もできたから、夫と私の体調良い時にしか行けないので不便になっている。
で、ないものはないし、国会図書館にもないものはないし、熊谷伊助の資料は横浜市に貸した時に関東大震災で焼けてる。一次資料は岩手県に残るのだけかも知れない。
東京と神奈川の公文書館も調べてる。
で、ブログに成果がないもの書いてもしかないでしょう。浅草文庫の帰りに人と近所の友人と待ち合わせて蕎麦食べに行って幸せだけど、良い資料が見つからなかった愚痴を書いたら、人は努力不足の言い訳にとるでしょう。
それと頑張ったアピールうざいもあるじゃん。
川端画学校も場所が記されている地図は見つけられたけど、コロナ禍で某展が中止になり、そこに見たかった展示があって、見たい資料があるけど個人では見るのは無理で凹んだりするのは仕方ないじゃん。
義父の絵すら倉庫にあるのは知ってるけど、生きてるうちに展示されるのかはわからないので、残念に思うぐらいしかたないじゃん。
このブログをはじめる前から私がやれる範囲は調べに行ってる。
でもわからないのはわからないし、伝承の裏付けがやれない、何がどこにあるかを知らない、それも無教養ってことだとよく言われてきたよ。
今までどんな強烈なご意見がきても公開しなかったけど、今回のは公開するよ。
去年の5月にきたのとよく似てるから、またくるかも知れないし、その前にもあったし。これからは公開する。
きちんと連絡くださる方は公開しないで欲しいや、コロナ禍が落ち着いたら情報交換しませんかとか、資料分けてくださいとかあって応じられるのは応じてる。
でも脅迫状がくるわ、電話でガンガン怒鳴られるわ、慇懃無礼なメールはくるわ。
で、今回のはまとめると夫の金使うな岩手の熊谷家の為に清貧に生きて貯金して義父の絵に金つけて返せ。
おまえは登久平展だけやっとけか。60年生きて学びがない。
『これからも、登久平さん展を開く活動だけは、続けてほしいです。
60歳の人に何を言っても変われないとは思いますが、感想でした。。。』
えっとアラ還で60年近く生きてますが、50代後半です。
まあ、展覧会が簡単にできると思えるのも凄いわ。
『登久平さん展覧を開くだけは、続けてほしいです。』
それこそ、いくらかかるかわかっているのだろうか。
『会場費用
・作品輸送および保険費用
・プロモーション費用(広告、チラシ、DM、発送費用、ホームページなど)
・会場構成費用(台座、額装、キャプション、展示作業、装飾、ライティング、保管など)
・人件費(会場受付スタッフ、会場監視員など)
・その他経費(お弁当、飲食、会議費、郵送費用など)
https://sdart.jp/archives/1789
』
台東区でやった熊谷登久平展は池之端画廊さんの多大なるご好意があったからできたのだ。額も池之端画廊さんのご好意だった。
また、一関市の千厩でやる予定だった熊谷登久平展も千厩の皆様のご好意と、一関市のイベントの一角だったから企画があったのだ。
義父の代表作はあちこちの美術館の倉庫に埋もれ、行方不明になったものもある。美術館が欲しがる絵はほぼないと思われる状態だ。
ご意見を読んだ夫が過去にも熊谷登久平の財産を返せと言ってきた人の関係者ではないかと、もしくは去年も無礼だと言ってきた人ではないかと。夫が結婚をしたことを怒ってきた人かも知れないとか。
熊谷登久平を知らないと書いたのはフェイクではと。
夫は郵送されてきた手紙も含めて仮称M子さんと言っている。
私はこのコメントは私を蔑んでいる某リケジョかなと思ったけど、夫は前に乗り込んできた遠縁も思い浮かべ。
そういえば私に怒鳴り込んできた夫の相続人名乗る女性もいたなぁ。その人は夫には甘い声で話すので結構嫌だった。
夫婦で互いに思い浮かぶ人がいるのはなんだかなぁ。
別人なら別人で。