色々あって、谷中の熊谷家に嫁いできたら未整理のものな乱雑に出てきて、郷土博物館の末端の調査員経験やら雑誌の記者の経験から無下にして良いものではないと、しかも長谷川利行のスケッチブックまで出てくるし。
残念ながらはたけが違うので長谷川利行のスケッチブックだけでも寄贈しなければとあちこちに連絡しても、寄付は受け付けてないとか言われて、熊谷登久平の遺品だから本物で間違いないと伝えると、画壇の熊谷登久平は忘れられていて。
わぁと思って恥をかき捨て走り回っていたら、池之端画廊さんで熊谷登久平の生誕120周年をやっていただけて、池袋モンパルナスの会の会員展に特別展示枠で展示していただけるようになり。
なんということでしょう。
義父の親友の山形の服部天皇と呼ばれた方のコレクション展で山形美術館に二作品も展示いただけて。
義父のふるさと、熊谷登久平が末期の病床で帰りたいと言い続けた岩手県の千厩でも生誕120周年展をやっていただけて、登久平が第二の故郷と言っていた気仙沼のリアス・アーク美術館にも作品が収蔵されることになり。
で、時代背景や交流関係を調べて義父の関係者のご遺族も調べて(元博物館調査員とノンフィクションの記者の経験値)て行くと、そこにも貴重な資料があったりで、関係元の美術団体に連絡して、ありがたいことに白日会百周年記念誌に我が家の資料と義父の友人たちのご遺族よ資料が生きて。
しかも初めて義父の作品が国立新美術館に展示されて。
千葉の美術館にも今度作品が入ることになり。
嫁いでから七作品を美術館に入れたのは、美男子の御義父さま、褒めてください。
嫁として熊谷登久平の遺伝子を残さないけど、名を重ねて刻ませていただいてます。
お義父さまの絵と文と顔と息子さんを大事にしています。
今日は御仏前にお好きだったと聞いている谷中の嵯峨の家本店のお煎餅と日本酒の黄桜を。
千厩で造られていた日本酒はもう手に入らないし、酔仙もなかなか手に入らないので、親友だった長谷川利行のふるさとの京都の酒を。
煩悩主婦という肩書きがついた仲村明子って名前で連載を持っていた時期がある。
思春期、優秀な嫡子たちへの劣等感の塊になり、穴埋めに節操なくガツガツとやってきた。
ので、書いてきたものが多ジャンルになり収拾が大変であった。
それが今も続いているが体力が持たなくなってきた。
それを人はリピドーというが、単なる煩悩である。