熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

戦前戦中戦後 脅迫状が届いた

正義感なんだろうな。

戦記をやりはじめた頃は抗議電話が多かった。
あの頃は米軍寄りの調査をしてると非難されていた。

インターネット時代になってからは好き放題書かれて、エセとか。
掲示板も荒らされた。
占守島の士魂部隊の関係者の記事では終戦後の戦闘行為を美化した云々で、怒る人がいた。


戦後50年企画で、B-29搭乗員のドキュメンタリーをやるために動いていた時に、阪神淡路大震災が起きてそれまで打ち合わせをしていたTVスタッフは神戸に移動した。
3月に入り違う人たちが短い撮影をして編集して東京大空襲のニュースとして放映した。

その時、B-29の搭乗員は東京大空襲について語ったが、あれは職業軍人としてのビジネスであったなどと語り、誇りと苦悩も語り、最後にだから自分たちは子や孫が焼夷弾を落とすスイッチを押さないですむよう努力をと語ったが、サクッと編集されて反省してないって感じにされた。
私は番組スタッフも一緒に写り市民団体とされた。私は市民団体に属したことはない。

B-29搭乗員は、浅草や両国、上野の山の仮埋葬地なども周り、去年まで上野の東照宮にあった原爆の火と慰霊碑にも黙祷した。
その辺りは最初からカメラもまわさなかった。

情報って発信者が何を描きたいかでコントロールできる。

経験者は何があったかを残そうとして、石碑に刻んだり本を出したりしたが、例えば我が家の裏にある慰霊碑も忘れられつつある。

昔私は東京新聞でずっと戦後であれば良いと語ったことがある。
戦前戦中は嫌だ。
だから反感が多かった撃墜されたB-29のことも調査した。
勝者でも辛いことはある。
米軍側の戦友会やご遺族も取材をした。
丁度、スミソニアン博物館で原爆犠牲者の展示をさせたくない空気が戦友会の主流だった時期なので、アーリントン墓地では嫌な思いもした。

「戦争をやめろ」って主題歌のアニメもあった時代に育ち、傷痍軍人の祖父と戦死した叔父、空襲と地震伊勢湾台風の体験談を聞いていた。

それらは忘れてはいけないと。
なので、私は取材調査をしたことは後悔していない。後悔しているのは自分の筆力のなさだ。

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