夫、精密検査で癌らしきものが見つかり、来週マーカーと組織を採取?する検査を受ける。
50過ぎてから私にプロポーズ何回もして、一緒に長生きをして旅行も楽しもうと言ってた。
それが、夫、心サルコイドーシス発病で長旅無理に。
落雷に遭う。
交通事故で肋骨何本も折れたのに、加害者方の損保ジャパンは1円もくれない。金くれると言うから去年の秋に症状固定で診断書出したのに難癖つけられていまだに揉めてる。
夫症状悪化して今月から車椅子。介護保険の審査も受けた。
元々介護覚悟で、熟年婚をした。10年以上共に過ごせると信じていた。
なのに癌。
夫は明日も大学病院で精密検査。
義父の再評価頑張るから、岩手県への里帰りも頑張るから私を置いてかないで欲しい。
高射砲陣地の資料や写真を欲しがる人がちらほら。でもね、あれは簡単な取材ではなかったのよ。
それと、記事自体四半世紀昔のものだし、記事も高射砲の写真が小さいとか、久我山をやれとか、中の人の話はどうでも良い的なことも言われたので高射砲陣地というか、メカニックだけが好きなマニアはあまり好きではない。
B-29操縦マニュアルの時もだけど、自分では書かないで批判しかしない。
変なおばさんがとか掲示板や会議室で書かれているのをわざわざ教えてくれる人も苦手だった。
へらっと写真原版送れとか言われると私は持ち主に返したとしか返事できないです。
父の弟が16歳で戦死して、生き残った父は面倒な人になったし、息子を亡くした祖父は酒飲んで叔父の写真を指差して泣くし。
私は私なりの反戦で書いていたのに左右両方から色々言われたし、若いマニアの御指導ご鞭撻は厳しかったしね。
で、右の上坂冬子先生、左の早乙女勝元先生に資料を渡していたし、交流してた。
他の作家さんにも左右関係なく提供をしていたのですよ。
書き残されることが、大事だと思っていたわけです。
なんなんだろう、人殺しの道具って台所にある包丁でも使う人によって成り立つじゃん。
高射砲部隊の人たちの算術凄かったよ。数学だけじゃなくてメカニックとしても臨機応変な人たちだったよ。
その人たちが戦後に大手メーカーの技術者になったりもしていたよ。
戦争犯罪の道具という技術で戦後の豊かな生活に繋がっているものもあると私は思うのよ。