熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷伊助の石碑

勝海舟が親友の熊谷伊助を悼んで読んだ歌碑が、いつのまにか勝海舟の屋敷に使えてお手つきになったが屋敷の女性たちから嫉妬を受けて市川の実家に帰ったチカが死んだことを偲んだ歌碑との説明文が立っているお寺さん、先月の台風で屋根が痛んだとのこと。

お盆とお彼岸が終わったら熊谷伊助の資料を持っていく約束になっているけど、しばらくは忙しそうだ。

熊谷登久平と熊谷伊助の生家は、伊助を大事にしてくれていて、だから石碑の記録や拓本がまだ残っている。
横浜市や一関市では酷い扱いをしているどころか、歴史を扱う教育委員会が知らないから、伊助の石碑の解釈が変わっていることすら知らないで放置している。
派手な偉人だけ扱って、花火だけあげて、一次資料を確保しない。
華やかがいちばんなのかしね。