熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

専門職がいる関係は難しいね、もう無理というか。

大学院教授の紹介状を持ってこいとか、私が私である証明をして欲しいとか丁寧に何回もあちこちで言われて、これがコツコツやってきた限界なのかなと。

 

ちょうど東大の関係者たちが面白い会話をしていた。

努力をしていると言って結果が出せないのは努力をしているつもりであり、本人にその資質がないことに気がついていない。

東大生は努力の仕方を知っていて、努力で結果が出せないのは少数である。

彼らのノートは汚い。

自分の資質をわかる知能が生まれつきないから無駄な努力をしている。

 

還暦近くまで成し遂げたことが私にないのはこれかと。

 

 

例えばB-29操縦マニュアルも出した時にニフティのミリタリー会議室ではボロクソだった。

理系大学を出た大手メーカーの技術職についていた方から始まり、 なぜか今は消えているがアマゾンの批評欄も酷いものだった。

私はミリタリー業界の技術に詳しい男性にもご教授を求めたし、ニフティでも教えを請うた。

しかし、助けてくださったのは文学系の会議室の人たちと戦前派だけだった。戦前派には東工大B-29のエンジンを研究していた教授や墜落して日比谷公園で展示されていたB-29を徹底的に研究した方もいた。

 

不思議なのはミリタリー系の意識高い系の人たちは当時も今も独身が殆ど。

大企業勤務が多く、子どもがいないから金があるだろうし、最新の資料がなんぼでも買えるだろう。

一般的には高学歴と言われる大学を出て技術英語も堪能なのに、この文章の解釈を教えて頂けませんかとニフティに書いてもミリタリー系は誰も答えてくれない。

戦前派が多かったF戦前と文系の会議室の人たちが助けてくれてどれほど救われたか。

 

そしてミリタリー意識高い系は本屋にでたB-29操縦マニュアルを購入して粗探しを始めて、野田昌宏先生が何回も書き直した項目や、フィーフィを運用していたベテランズが教えてくれた項目を狙ったようにかなり厳しく叩く。

彼らは叩ける自分の知識の高さを誇る。

そのために買ったとしか思えない。

そして捨てたんだろうな。

私は著者割りでも買うの大変だったのに。

 

統一ができてないや文体の下手さが叩かれるなら仕方ないけど、野田先生は私と缶詰になりながら丁寧な仕事をしてくださった。

素人が訳す売れない本だからと五パーセントの印税と決まっていた。印税上げると本代が高くなると言われた。

 

分割払いを数名で分け、振り込み手数料と源泉徴収後の印税。野田先生への支払いも同じ扱いよ。

 

野田先生は、今はなら搭乗員たちが御存命だから間に合うと忙しい中やってくださった。

アメリカとの著作権問題の調整も野田先生がいらしたからやれた。

叩かれて本を見るのも嫌になってたけど、欲しいという方もいてさしあげるようにしていたから最後は手元に無くなった。

あれだけ叩かれた本を買って大事にしてくださった方は神だわ。

著者割でも私には高くて買い辛い本だったのよ。

 

流石に今は平気で読むことができるようになり、名刺にもB-29操縦マニュアルを印刷をしているけど、あまりにも同世代のミリタリー系に不評だったから野田先生や助けてくれた仲間に申し訳無かった。

 

凄かったのがSF業界で、野田先生が長野のSF大会で野田先生の記念行事があるからと誘ってくださったのに、その大会の委員長が私の出席を拒否した。私SF業界には受けると勘違いしてたのでショックだったわ。

SF大会の野田先生イベントへの参加不許可者名簿。それは一時期、ダメと言われた人物の名簿が出回ったし、なんとかしようと告発したスタッフもいたから覚えている方もいるだろう。

野田先生も会長に話してくださるお気持ちだったけど、かえって反感買うからお断りをした。

 

その時の会長が名指ししたメンバーには女性向けのブランドで書いている作家もいたし、架空戦記の作家もいた。

 

 

まあそんなこともあったぐらい、B-29操縦マニュアルは成果とは言えない。

江戸東京博物館に展示してあるB-29のテールガナーも私が調査したものだが、なぜか捕虜虐待の証拠としてだけ紹介されたりして悲しかった。

私は技術格差と資源格差、殺された民衆を思う資料になると思っていた。

受け取り方は自由だから仕方ない。

 

B-29操縦マニュアル、今は出せて良かったと思っているけど、間違いを指摘した人たちは、なぜ完全版を出さないのか不思議に思う。 

野田先生や大倉徳一郎さんやベテランズが知らないB-29の情報を持っておられるのだから叩けたんだし、完全版を世に出せば良いのに。

私はミリタリー系の人たちの指摘に驚いて私の不勉強を恥じてB-29に関わるのはやめた。

あと技術系は一切書くのをやめた。

餅は餅屋だ。

野田先生やフィーフィのメンバーより詳しい人がいる業界で私がやるのは無粋だ。

 

今は野良で専業主婦だからツイートで技術的な発言もできる。それは野良だからできることで論拠を述べよと言われてもブロックすれば良い。

私が知る知識が古いのは知っているし、でも技術史も好きなのは野良なら自由でしょ。

カハクも私のような民草が楽しいと出かけても意識高い系の肥やしにはなるのではないのかな?

本買ったりお土産買ったりするけど、それが巡って意識高い系の懐に少しずつ入るんじゃん。

野良でも雑草でも意識高い系が搾取できるの少しはあるじゃん。

 

でも野良の専業主婦だから、

東大に美術雑誌を読ませてくれと頼んでももちろん門前払いだ。

上野の都美の資料室にあったものは門前仲町に殆ど行ってしまったし、ここも使用目的とか提出して、本の何ページの何処をコピーするかも記入しても割合、範囲とかが厳しい。

例えば義父の随筆を見つけても全体コピーは許可されない。

この義父の随筆や義父が書いた評論のコピーは私は専業主婦だから研究目的とはみとめられないので、仕方ないと諦めた。

 

そこで、美術雑誌に載っているはずの連絡先を辿り義父の軌跡を追おうとしたが、国会図書館のコピーは金額的にも労力的も私の目にも大変だ。

なので東大の研究所が利用しているコレクションを調べたい。雑誌名はわかってて、その時期のを調べたいと思っただけだけど、規則で門は閉じている。

 

お金持ちだったら私立大に寄付を名誉修士になれるぐらいいっぱいして、読みたい本を読む権利を得られるのになと悲しくなった。

東京芸大になると、もっと丁寧に門を閉ざしている。

中学の同級生で同人仲間の娘さんは芸大に現役合格をして今外資系で活躍をしておられる。

だから同級生なら母親として娘さんの縁で図書館に入れる可能性が私より高いんだろうな。

彼女は教員免許を持っているし旦那さんも教育関係だったし、子に満足な教育を与えられたんだろうな。

 

きちんとした教育環境を我が子に作れなかった罰があたえられているんだろうな私。

 

夫が義父の関係者で自分も顔見知りの独立の絹谷先生に頼もうかと言ってくれたけど、絹谷先生は名誉教授だから当てはまらないという現実。

それ以前に恐れ多いわ。

 

義父の年表を作る。

雑誌に残っているであろう連絡先を調べるというだけの事も出来ない私という存在が結構堪え難い。

 

東大で美学を専攻し旧帝國系大学の教授になった親戚は皆無ではないが、戦前の話で戦後レッドパージされて死んだので使えない。

 

とかグダグタ。

教養貧困層の連鎖を我が子や孫にも繋げてるんだな。

アッパー層の方から娘の価値がない理由を親切心から教えられて愕然としたのも先日。足立区生まれ育ちだけで人格否定するんだ今の意識高い系。

そして会社によっては千葉埼玉県民たちが足立区生まれ育ちの女性同僚を弄ってて、傍観しているのが地価が高いところに住んでいる都民なんだ。

これは私はしばらく引きずると思う。

弄られて耐えている女性が存在するのは切ない。

 

 

私に残るものは日本人と日本人の間に生まれたのに無国籍期間が六年もあったという事実ぐらいかな。あとは介護離職したり介護離婚されて貧困母子家庭で子の大切な可能性をつんだこと。

それと、24時間在宅介護をして、母を見守ったつもりだったけど、何回も入院をさせたのに末期ガンを見つけられる病院に入れなかったから、婚姻によってきちんと生まれた弟に母を殺したと責められて骨を拾うのと葬式は許してもらえたけど、納骨や仏壇にあるであろう位牌に手を合わせることも許されず、再婚を機に間に人を入れて墓参りを願い出たけど拒否されたとかの、私には理解できない私の立場とか、弟の私への怒りの深さとか。

 

その辺しか他者と変わったものは私には残ってない。

義父の女性関係で戸籍がなかった愛妾の人生も知りたいと考えて浅ましいかもと、考えることがある。

 

 

 

えっと熊谷家の墓石と義父の不遇時代を支えた愛妾の墓石が別々になっているのは、当時のご住職が、義父と彼女の骨を一緒に入れることを許可しなかったためで、義母としては精一杯の誠意の墓石です。

墓石高いんですよ。

義父は大学病院の特別個室に一年入院をして、当時最新の技術だったコバルト放射治療やらあれこれ高額治療を受けていたから熊谷家の現金は底を尽きてました。

相続税も当時は今より高い利率でした。

そのために今人気の駅近の都心と呼ばれる地域の別邸を急いで売り買い叩かれ相続税を支払っています。

彼女を軽んじての安っぽい埋葬ではありません。

墓石が安っぽいし花もないとの質問があったので。

彼女は義父より十歳上で、義父が亡くなる二年前に亡くなっていますが、痴呆症になり、介護、糞尿の世話も義母がしていました。

彼女が亡くなったあと、仕送りを受けていたはずの親戚は遺骨の受け取りを拒否し、遺産は受け取り、遺骨はしばらく義母の実家の墓地に預けられていました。

義父が亡くなり谷中に墓地を求めたので一緒に埋葬をしようとして寺から駄目と言われて慌てて建てた墓石です。

花についても色々あるのよ。

今も我が家は隔てなくお参りしています。

 

 

ぽいとのf:id:TokuheiKumagai:20190724155139j:image質問があったので。