義父、熊谷登久平と義母房江には長男久が生まれた後、何人か流産を繰り返し、7年後に次男寿郎が生まれた。
高齢になってからの子なので砂糖子と呼ばれたほど溺愛されたそうだ。
長く一緒にいられないであろうことを悩み、絵のスタイルを変えたとお弟子さんや義母が話していたそうだ。
生活の糧は役員をしていた会社の収入でも足りたが、死後を考えて銀座の三越で個展を毎年開催するようになる。
絵は個展前に完売していたそうだ。
2歳から絵筆を持たされ高価な油絵の具が落書きの道具として与えられたという。
専門の子守さんがいた夫。
息子夫婦と孫のベビーカーを押す夫。