旧Twitter、現Xで東京は貧乏でも選択肢がある的な話しが流れていた。
父が色々失敗して借金こさえて、私の学費とかも借金に使ってた頃。
新聞販売店に住み込みで勤労学生やってたけど、あの頃は各新聞社が協賛してる展示会やお芝居に遊園地のチケットももらえて、各社の新聞奨学生で融通し合って。あ、映画のチケットも結構もらえた。野球、落語や歌舞伎ももらえた。(明石では宝塚の招待券がもらえたが)
東京は地方より公共交通費が安いのでバスもメーター式ではなくて定額運賃。
で、少しでも安い乗り換え探して展示会や遊園地とかにいった。
あの頃は実家に仕送りしながらでも展覧会行けるし、入り込める他校の学食(師弟食堂)安いし、公共施設は学割天国だし。
図書館もあちこちにあって、プラネタリウムもあちこちにあって。つか住込み先の徒歩圏内に当時は足立区立のプラネタリウムと図書館があった。
レコード屋さんは試聴できたし。
半世紀近く昔の思い出話し。
今では私が卒業した田舎の学区にも図書館があり、ショッピングモールもあるそうだ。
メモ トラベルミン 目眩がどうしても出るので1日2回で処方されてるけど、3回はだめかなと。
https://www.rad-ar.or.jp/siori/search/result?n=16268

ある画家。

夢二的美人だった才媛な内縁の妻が女給をして画家のたまごを支えた。

画家がある程度成功してからは藤田嗣治プロデュースのサロン春や府立美術館に勤め彼を支え。

20年後に画家は22歳年下の正妻を得て、それを知ったモデルさんが入水自殺をしたり、色々修羅場だったよう。

画家の家は正妻と内縁の妻同居の家となり、正妻が内縁の妻の介護もした。
内縁の妻が亡くなると画家は新興宗教にのめり込むも、入院後付きものが落ちベッドの上でキリストの一生を描き退院後を完成させるつもりだった。
その画家には常に女性がいて、晩年の恋人には最後の恋人と言っていたそうだ。




