今日は昭和100年10月10日。
第20回池袋モンパルナス回遊美術館2025
~まちのどこもが美術館~ の葉書が届きました。
『昭和初期から戦後にかけて、池袋西口周辺には多くの芸術家が移り住み、集い、
時代風潮に矜持……』
11月29日14〜私のギャラリートーク(付け焼き刃な雑談)があります。
小熊秀雄 以外は私個人蔵
田中佐一郎、野田信、寺田政明、熊谷登久平、長谷川利行(熊谷登久平の遺品長谷川利行スケッチブックを専門カメラマンが撮影したものを美術かん)

熊谷登久平が 、昭和14年の白日会に出した『夏に鍛える』。昭和19年に独立美術展に出した鹿島神宮と香取神宮。
午前千葉市立美術館の学芸員さんがトラックでいらして搬出していかれた。これから千葉市で審議あり収蔵が決まるか決まらないかとなる。
これが千葉市立美術館に収蔵されると、今千葉市立美術館に収蔵されている小品と来月展示される外房小景とあわせて5作品が収蔵となり、岩手県立美術館と青梅市立美術館が3作品、気仙沼のリアスアーク美術館が寄託を入れて6作品だから、千葉市立美術館が2番目に収蔵していることになる。
鹿島神宮と香取神宮は熊谷登久平の明らかな戦争画となる。昭和19年の美術展は当局のあれこれがあり登久平なりに工夫をして描いている。なお画材は不足しているがキャンバスは買い込んでいたので再生キャンバスは使ってない。
キャンバスは麻布製で、軍が使うものでもあったので1938年2月に純麻利用が禁止され合成キャンパスなどが推奨されるが、それは描き心地他あれこれよくなく、絵の具を薬剤で除去し手間をかけたものだったとか。でも手間をかけても品質は劣化しているから……
(戦後お弟子さんが登久平からキャンバス地をもらったと書き残している)
香取神宮、鹿島神宮のサインは○に登が入っている。それまではアルファベットのサインで戦後もアルファベット。
昭和19年だけ○に登。
時代だ。







義父の交流関係のおかげさまで、日比谷で上演されているエノケンを鑑賞。
義父の画仲間だった村上鉄太郎は舞台美術も手がけておりエノケンの舞台も手がけていた。当時のエノケンの妻は長谷川利行も大好きな花島喜世子だったので我が家に残っていた長谷川利行のスケッチブックには舞台のメモもあった。







