義父の代表作が現存していたことを岩手県一関市千厩の義父の生家、本家に連絡した。
義父の資料をある程度まとめてくださっていた一関市の親戚たちのおかげで私はかなり楽をしている。義父が可愛がっていたという甥もいまはなく、本家の仏前への報告に白日会100周年誌を供えられて良かった。
また、義父の三作品が首都圏の美術館の収蔵候補となっていることも含めてありがたい。
夫の幼馴染から山菜をいただいた。
ありがたや。
ママ友と舎人公園へ。
私たちが舎人で育児をしていた頃はまだ整備が完成しておらず、戦後条件付きで下げ渡した住宅地の土地の買収も揉めて結構大変な場所だった。
明け渡された土地は荒れて、タクシー運転手が殺されたり、女性の遺体が埋められていたり、それとは別に『足立区首なし女性焼殺事件』の犯人が女児に乱暴をしてその辺に投げ捨てていたりがあった場所。
夜は怖くて近づけなかった。
昼間は凧揚げしたり、ザリガニ釣りをしたり、まぁひらけたところなら遊べた場所。
皆でお弁当を持って散歩した場所。
40年ほど昔、レーガン大統領夫人が東京市が送ったワシントンD.C.のポトマック河畔の桜を送り返してくださり、その五色桜を育てた場所。
当時はレーガン桜と言っていたが政治的有耶無耶で今は五色桜や里帰り桜となっている。
https://www.adachikanko.net/recommend/goshikizakura
その桜たちも育ち、今では観光名所化している。