谷中に空襲があった日だ。
『太平洋戦争下の昭和二十年三月四日午前八時四十分頃、小雪降る中に、谷中地区はB29 爆撃機の空襲を受け、死傷者約五百人、全半壊家屋約二百戸の被害を蒙むった。
戦争も終り昭和二十三年、当時の三崎町、初音町四丁目、真島町の有志により三ヶ町の戦災死者七十余名の霊を永久に供養するために地蔵尊が建立された。
みしま地蔵尊とは三ヶ町の町名からそれぞれ一字をとったもので(三四真地蔵)』
義父は我が家の裏手、谷中眞島町の被災状況をみて通っていた山形に行く準備を始めて谷中を出た。内縁の妻は家を護ると言って残り、火叩きと簡易な防空壕のあるここに残った。
午後19時過ぎ、谷中は雪が積もり始めた。
寒いので午前は動けず、ユンケルと熱いコーヒーに生姜とかやれば温まるけど今は用事がある時以外はカフェインと香辛料に頼らない。
冷えからか脈が私からしたらとても飛ぶ、動悸も酷い。が、これは私基準で、簡易検査機で不整脈を調べてると夫が同じ機器で自分の脈を診る、すると夫の方が乱れている。機械は正直だ。
病は気からなので、マジで痛がるのがみっともない。
医療費が夫より私の方がかかっているし、ポックリいかないかなぁと、肋間神経痛が背中まではしる時はそう思う。どんなに私基準で痛くても死なないので、やっぱり精神的なものなのだろう。
ソラナックスで落ち着くことが多いし。
そういえば私が意識を失った時に慌てた夫が子どもたちに連絡をしたらほっとけば起きますと言ったとか。
団地の草刈り中に気絶したり、何回か見てきてるから彼らは慣れてる。
打ちどころで流血してなければ大丈夫的な。
暑い日にトイレで気絶した時は頭を何かで打って流血が酷く、また家族が気がつくのが遅れたために大変だったそうだ。目が覚めたら入院してた。
脳波を調べても問題ないので、謎ではある。精神的なものだと団地の診察所では言われていた。あとは太り過ぎ。
午後、太平洋美術のギャラリーで好きな画家さんたちの展示があるのでお邪魔する。
昼過ぎに来客があり、不整脈が結構ドキドキとか背中まで痛むまであったので行こうか悩みましたけど、好きな画家の作品は良い。
心の滋養だ。
かわいいのには癒される。