熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

肋間神経痛

昨日心疾患で世話になっている病院からの帰りに篠原薫画伯が描いた戦後の団子坂あたりの絵の写真を引き延ばしたのを持ち歩いて、老舗さんとか尋ね歩いたが戦後79年なので……

空襲供養のお地蔵様に手を合わせるぐらいしかやれない。

 

【今後調べるべき資料。創元社 戦前期 火災保険特殊地図 10巻 1935年 本郷区1934-39 火災保険特殊地図 都立中央 疎開地図】

 

 

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帰宅後、胸痛後に体調がおかしくなり痛み止めを飲んだあと少し動けず。精神的なものかと安定剤も兼ねているソラナックスを多めに(許可内)服用して寝る。

夜結構な胸の痛みで目覚める。雨だし、低気圧のせいかなと。

なので、今日、午前は動けず(動こうと思えば動ける程度。トイレも行ける)

 

終生白日会会員だった篠原薫画伯が谷中清水町在住の白日会創設メンバーの1人の富田温一郎画伯に惚れ込んでいたことは日動画廊の創業者が書き残している。

で、なぜか田代光のことを調べる機会がきて、自伝を読んでいたら高等小学校時代に富田温一郎画伯の元に通い絵を学んだ後、太平洋美術に入った話しが。

田代光は15歳で白日会に入選しているが、この縁で白日会に作品を出したのか的な。

 

今になって富田温一郎画伯の関係がぽろりぽろりと出てくる。

慕われていた人柄が出てくる。

 

 

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体温36.6

体温脇下38

 

血中酸素95

 

機械脈80

実測78 不整脈なし

血圧138-60