熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

垂井とか 竹中半兵衛の墓とか

この連休、上野公園で戦国武将EXPOを開催している。

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昨日都立美術館に行きふらりと入ると、岐阜県の懐かしの垂井町ブースがあった。

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岐阜県垂井には『禅憧寺』がある。

戦国武将の竹中半兵衛の竹中家の菩提寺だと聞く。
20年ほど前にお邪魔したときは先代住職夫人が境内の梅の木の実を自家製梅干しにして売り、本堂修復費にあてていた。また青い竹中半兵衛の文字と家紋を染めた手拭いを半被に折ったものも売っておられて、まだらぼけの戦国武将好き、城好きの母への土産にした。
寺には竹中半兵衛の墓があり、戦中までは竹中家の菩提寺として大きな援助があった話しとか。

竹中家の墓を守る寺なので檀家が少なくて大変だけど、東京の大学に行っていたご子息が住職を継ぎ……

曹洞宗の寺だから世田谷の大学かと聞いたら、高田馬場にある大学だった。先代が早く亡くなると思っておらず好きな勉強をしてから曹洞宗の資格を取るつもりだったとか雑談。


そのご子息も亡くなったと昨日聞いた。

 

彼は私の同世代で、あの時は独身だった。

あの頃、人気ゲームの戦国BASARA豊臣秀吉を支える軍師竹中半兵衛が出て、寺にも女性ファンが来るようになり、そのあとやはり豊臣秀吉の軍師の黒田官兵衛が主人公の大河ドラマがあり、竹中半兵衛黒田官兵衛の二人の息子の物語もかかれ。

あの頃は訪れる人が増え始めていた寺が墓の修繕もやったニュースと見て、よかったなあと思っていた。

合掌

 

以下2007年10月7日の日記より一部引用

『翌日、垂井の竹中半兵衛ゆかりの地をまわり、菩提寺の墓に行く。ご住職婦人が「最近は全国から若い人が来てくれる」と話してくださった。「ドラマの主人公になったこともないのに嬉しいことです」とのこと。戦後荒れ寺になってしまったのをご主人と建直された話しなど興味深いお話しを沢山いただけた。竹中本家は今も健在だとの事。
 娘、竹中半兵衛の像の写真を撮って喜ぶ。それと竹中半兵衛手ぬぐいを入手。これはここでしか手に入らない超レア物。
 ご住職夫人が漬けられた敷地内で採れた梅を使った梅干を購入。無添加無農薬、美味。代金は本堂の屋根修復に充てられる。でも五百円という価格は市販品より安いので驚いた。

 その後、墨俣一夜城跡に行き、娘と別々の時代に萌える。従姉は「あきちゃんたち歴史が好きだねえ」との感想。へらへら。
 墨俣一夜城から岐阜城を望む。竹中半兵衛が落としたときは稲葉城という名前だったととか娘と話し込む。岐阜城織田信長命名。など説明しながら心の中では明智光秀萌え。』

引用終わり


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