昨日は夫に上野松坂屋の北海道展で牛肉の弁当を買って帰るが、ご飯の量が減っていた。
食欲魔人化してる夫のために二個買ったが、それでちょうど良かったぐらいだ。
大門から少し歩くと大河ドラマ合わせの新吉原の耕書堂がある。耕書堂の復刻版などが売っている。案内の女性べらぼうTシャツがお似合いで、これが欲しかった。
そこから元吉原病院、今では台東区立病院に向かって歩くと吉原神社。長蛇の列。前は客がいなかった。大河ドラマ効果すごい。
神輿蔵に抜けるところに復元大門。
東京大空襲の新資料などを見る。
そこから浅草二天門前の大河ドラマ館へ。
前回なかった毒手袋と源内先生の遺稿が展示されていた。
源内先生の墓がある総泉寺跡地に向かう。
総泉寺は橋場にあった古刹(寺)で、wikiには 「京都の吉田惟房の子梅若丸が橋場の地で亡くなり、梅若丸の母が出家して妙亀尼と称して梅若丸の菩提を弔うため庵を結んだのに始まるという。」
つまり能の隅田川の舞台であり、古刹と書いたが歴史ある場所で昔は渡し船着場。
確かに名刹で古刹だけど、何故ここに源内先生は埋葬されたのだろうと長く思っていた。
が、義父のことを調べていて江戸時代後半の江戸蘭画の流れに行き着き、秋田蘭画の佐竹藩の江戸の菩提寺がここだったので、そうかと。
解体新書の挿絵を描いた佐竹藩士の小田野直武の師匠が平賀源内だし。そして、源内先生の墓地には解体新書の杉田玄白が建てた碑も残る。その杉田玄白を描き残したのが石川大浪。
https://yuagariart.com/uag/akita03/amp/
↓石川大浪による杉田玄白
総泉寺は関東大震災後の都市計画で東京市外の板橋に移転した。秋田藩主佐竹氏の大名墓も共に移転していたが、1998年(平成15年)秋田市にある菩提寺天徳寺に移された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%B3%89%E5%AF%BA
秋田蘭画については義父と長谷川利行が絵の具などを分けてもらっていたお寺を調べていたら、そこは石川大浪の墓があるところだった。
夫によるとその墓には連れて行ってもらったことがあるとか。先先代と先代住職は絵を描いており、そのため無縁となった石川大浪の墓を残しているとか。
など