某日美術関係者さんたちと西日暮里で飲んでて「日本の近代洋画は秋田蘭画からだよねー。」
「秋田藩(久保田藩 佐竹家)の藩邸は台東区と荒川区にあったのに台東区と荒川区が美術史に冷たいわ」と嘆く。
『 幕末には下谷七軒町に上屋敷(佐竹商店街辺り)、神田佐久間町と本所十間川に中屋敷が、鳥越、本所中之郷、日暮里に下屋敷(今の開成辺り、最寄駅は西日暮里)があった。また、大坂布屋町に大坂藩邸、京都柳馬場通四条上ルに京都藩邸を持つ。Wikiより』
日本洋画の偉い人の高橋由一は日暮里で暮らしたし。
近代美術史もやってよ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%E8%97%A9
義父たちが昭和初期に石川大浪の墓参りをしていたらしいが、(その寺に夫も幼い頃に義父に連れられて行ったとか。義父は大正時代から自分を支えてくれた内縁の妻の死後、近隣の墓参りに夫を連れて行くようになっていた)。何故画家たちの墓を知っていたのだろうと。 1930年に岩波書店から出た平福百穂(ひらふく ひゃくすい)の『日本洋画曙光』辺りの影響だろうな的な。
↓秋田蘭画、ぶすけ(秋田藩士の小野田武助)の不忍池。Wikiから。
千駄木の茗荷寿司が美味しい『茶きんと上方寿司 宝家』さんが閉店していた。
悲しや。