義母の命日。
大正12年の夏に浅草で生まれて関東大震災に遭う。その後、深川の被災者住宅へ。
そして、小学生高学年時に226事件を経験し、怖かったと語っていたそうだ。
関東大震災の被災者住宅は兵舎を再利用した細民向けバラックもあれば、軍用テント村的なものもあった。それらは後に低所得者向け都営住宅などになる。
また、第二次世界大戦後も兵舎や捕虜収容所だったところが、被災者住宅になっていた。
興味深かったのがテント村で、阪神淡路大震災の時に関東大震災時に神戸に移住した人がまだ存命で、その人たちが音頭をとったテント村があったと父が話していたが真相はわからない。
父を含めて軍歴がある人たちがいたからブルーシートで雨除けを設営できたというのは軍人恩給をもらっていた父の体験談。
それで、父は私たちに子どもたちに野営を経験させるよう煩いぐらい言ってきた。
鉄筋コンクリートのハイテク住宅。最近までは収入制限があった公団団地がその流れ。ある程度の年収がないと入れなかった。
被災者住宅の両極。
午前、心臓の方の病院へ。
予約してても待ち時間長いのは仕方ないし、またホルダー検査になったのも仕方ない。
凹む。
一昨日観てきた上野公園の都立美術館でやってる展示『出張! 江戸東京博物館』が楽しかったので今日もと思いつつ、休館日だと勘違いして行かなかった。
不整脈ひどいのでまぁいいかと。
義父たちの青春の地