熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 日名子実三デザインの八咫烏

ちょっと面白いニュースを読んだので。

教科書って大事なのにな的な。

『』は抜粋

日本サッカー協会、マークの由来は「八咫烏」だけでなく中国古典も 教科書に修正要請  

https://www.sankei.com/article/20240903-RSM4J3ITFZDJHKTE5QNQF3TFWM/

昨年発刊された「日本サッカー協会百年史」は、マークのカラスは八咫烏であると同時に、中国の古典に出てくる三足烏だと結論付けている。』

 

日本サッカー協会のシンボルマークにデザインされている3本足のカラスを日本神話の八咫烏(やたがらす)と記述している教科書に対し、協会が修正を求めていることが分かった。協会は「シンボルマークのカラスは、八咫烏であると同時に中国の古典由来のカラスでもある」と説明。教科書会社は記述の修正を検討している。

神武天皇を道案内
日本サッカー協会のマークが制定されたのは昭和6年。彫刻家の日名子実三(ひなご・じつぞう)氏が八咫烏をモチーフに、3本足のカラスがボールを押さえているマークの原案を作成した。八咫烏古事記日本書紀に登場するカラスで、神武東征で神武天皇が熊野から大和を目指す途中、大きなカラスに道案内され、即位したとされ……』

 

ネットを検索していたら「ケアニュースシルバー産業新間 2019/11/09」に中村覚之助にちなんだ話しもあった。

https://www.care-news.jp/column/wadai/zucDW

 

『日本にサッカーを広めた中村覚之助は、和歌山の出身だった。この中村にちなんだマークを探し求め、日本サッカー協会が辿り着いたのは和歌山の熊野。この地には三本足の「ヤタガラス」、そして蹴鞠(けまり)にまつわる伝承があった。』

 

このマークをデザインした日名子実三のアトリエは移築されて太平洋美術美術会の本部になっていたりする。

 

また、義父の熊谷登久平が属していた当時は谷中清水町にあった美術団体の白日会の会章も八咫烏

https://www.hakujitsu.com/hakujitsukaitoha/

古事記日本書紀には八咫烏が三本脚との記述はなく、古代中国で用いられた太陽に住む三本足の鳥の図案が本邦に伝来したものとされる』

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